「強い」と「上手い」の違いについて

はじめに
今期(WUP)は自身の調整段階からRAGEの結果まで通して上記について色々と考えることが多かったので思考の言語化を試みる。

シャドウバースのプレイヤーを語る上で、「あの人は強い」とか「上手い選手」のように「強い」「上手い」は頻繁に使われることが多く、また同様に逆の評価をする場合には「弱い」「下手」が用いられることが多いと思われる。
強いデッキや弱いデッキといった際の使われ方とは異なるので、プレイヤーの評価における限定的な使われ方として「」で表記する。

明確に「強い」「上手い」を区別して使っている人がどれほどいるのかは分からないが体感として少ないと感じている。今回は自分の頭の中でこれらの区別をはっきりさせたことでクリアに大会等の事象を考えることが出来るようになったので、今後思考が変わる可能性は多々あるにせよ今の時点での自身の考え方として文章に残しておく。自明のことを記しているに過ぎないかもしれないが、これを読んでくれている皆様は競技に携わるプレイヤーが大多数だと思うのでなんらかの思考の助けの一端になれば幸いである。

「強い」とは
大会において結果を残したプレイヤーである。RAGEをその例として挙げる。RAGEファイナリストとは新パックリリース後およそ1ヶ月後の環境において、そのパックにおける「強い」プレイヤーを選別する大会で選ばれた8人ある。RAGEファイナリストを「強い」と評価出来ないのは間違っている。シード権やBYEに関して思っていることはあるにせよ。
「強い」は結果においてのみ語るべきだという立場である。同じパックの複数回の大会で結果を残しているプレイヤーはその環境において「強い」プレイヤーと言えるだろうし、複数のパックを跨いで環境が変わっても結果を残しているプレイヤーは恒常的に「強い」プレイヤーだと評価をされてしかるべきだと思う。どこからを「強い」と判断するか、その結果に関しては人によって印象が異なるため、RAGEに関して言ってもDAY2進出から強いと見るかプレーオフ進出から強いと見るか等それは個々の価値観で問題ない。無論、「強さ」をRAGEだけで語る必要はなく、ミリオンカップ、JCG、Ratings、RSPL等に関しても各ルールの中での「強さ」を競った大会であることは間違いない。「強さ」の質量に主観は介在するが、プレイヤーの評価においてはかなり客観的であると言える。過去の「強さ」というのがいわゆる実績とほぼ同値だろう。

「上手い」とは
プレイヤー自身の能力を評価する指標である。「強い」を結果と表現したが「上手い」は過程だと言える。ゲームに対してのプレイヤーへの評価が「上手い」である。構築が「上手い」、プレイが「上手い」などだ。「上手い」を判断するのはとても難しい。例えばゲーム画面を見ているだけでは「上手さ」に気付けるだけの能力も必要であるからである。プレイヤーの思考や言葉を聞いて初めて「上手い」と判断できるのが通常であるが、プレイの意図に気付いて「上手い」と思うこともある。当然だがその環境の「上手い」プレイヤーはその環境の「強い」プレイヤーになる可能性は高い。直接プレイヤーのプレイを見る、話を聞く以外ではRatingsは性質上唯一客観的に「上手い」を判別する装置であると思う。数十数百戦単位で勝率や連勝を求められて「上手さ」の要素が数字化されていると考える。Ratingsにはオンラインであることや性質上の問題点があることは認め絶対的に信頼するのは危険であるが、「上手い」プレイヤーを輩出することに最も寄与している装置であることは疑いようがない。どのようなプレイを「上手い」と思うか、構築に「上手さ」を見出すかは多種多様であり、主観に基づくプレイヤーの評価と言える。概ね多くの人が気付かないであろう最善と思われるプレイや勝利に結びつく良いプレイを評価するとき、それを出来るプレイヤーに対して「上手い」ということが多い。

執筆動機
ここまで書いたところで一旦個人的な話をする。私自身幸運なことに「上手い」プレイヤーの方々と接する機会が多い環境にいると思っているが、今期に関してはいつにもまして差を感じることが多かった。記憶にある限りで印象的だった事例を3つ挙げる。

・ハンドの見え方が違う
自分自身で良い手札だと認識出来ていなくても人によっては良い手札をしていると見えることがある。自身のデッキの理解度や対面している相手に応じてのゲームプランの差から生じる。

・自分自身が択と思っていない択
このターンが難しかったと思うことは多いがその前の当たり前だと思っていたプレイが実は間違っているということが頻発していた。シャドウバースはターンが進むにつれプレイできるカードの選択肢が増え正着を踏むのが難しくなるゲームだと認識していたが、今期は2T~5T辺りのカードプレイ・トレード・進化の判断の難易度も異常だった。

・勝敗に直結する1ターンに気付く感度
試合中に何気なくプレイしているターンに明確な勝ち分岐が存在していることが非常に多かった。分かりやすい例で言うと、対ヴァンプのロックや、ドラゴン対ネメシスでドレイン警戒でフォロワーを出さずにターンを返すとか、ネメシスの最序盤に解放シオンで面作って勝ちのような、ゲームを決めるターンが突然降ってくることが多く、気付けるか気付けないか、意識しているかしていないかで差がついているのではと感じた。

そもそもの話として自分自身は「上手い」より「強い」プレイヤーでありたいと思っている。私は競技プレイヤーではあるが取り組み方などが明らかに所謂レート勢と呼ばれる方々とは異なっていることがそれである。しかし、「上手さ」を日頃から追及しているプレイヤーと例えば上記のように思考面で追い付かないと実感することが多い環境だった。自分の択が間違っていても勝ったのだから良いと考えてしまうプレイヤーと、1T1Tに最善を尽くそうとしているプレイヤーでは、たまたま相手からベストカードが飛んでこなくて勝ったマッチや相手のミスに助けられて勝ったマッチなどから学べる量が違うのではないか。「上手い」プレイヤー同士の議論に口を挟めないことが多く、普段の練習段階で手を止めずにプレイしていることがあまりにも多かったのではと思い至った。具体的な各1T1Tの正しい選択を学ぶことよりも、思考の下地があるプレイヤーとないプレイヤーの差は大きい。
とは言えRAGEにおいては「上手い」プレイヤーが勝つとは限らないことは経験上あまりにも知っている。「上手い」プレイヤーとは別の取り組み方で「強さ」を手にするために何をすべきか考えることも手段であり、あえて二つの言葉を区別しようと試みてみた。自分自身今後の調整や取り組み方に活かせれば良い。

注意すべき事案の例
・「上手い」プレイヤーだと自分のことを見せるのが上手いプレイヤー
当人が本当に「上手い」のかどうか判断することは難しいが、自分のことを「上手い」プレイヤーだと演出するのが上手いプレイヤーは確かに存在しているように思う。

・「上手い」プレイヤーと親しいところにいて自分も「上手い」と勘違いしているプレイヤー
「上手い」プレイヤーと親しくしていて思考やデッキなどの情報を知ることで自分も「上手い」と思い込んでしまう。自覚はなくとも陥りがち。

・「強い」=「上手い」+「強い」と誤解
例えば、特定の1環境で勝てたからといってそれはその環境における「強さ」であり、それは他環境における「強さ」でも「上手さ」でもない。また、大会の勝利は「強さ」の証明であり「上手さ」の証明とイコールではない。

・言葉の「強さ」がゲームの「上手さ」だと誤解
自信なさげにこうじゃないかなあという人物より、こんなの当然だとばかりに断ずる言葉の方が正しいように、ひいてはそれを言っているプレイヤーが「上手い」かのように錯覚してしまう。

・「強い」プレイヤー・「上手い」プレイヤーの言葉を盲目的に信仰してしまう
発言の中身よりも誰々が言っているから正しいはずだという思考。とはいえそのプレイヤーが正しいことを言っている可能性は高い。結論より理由や考え方が重要であることが多く、なぜそう考えているのかそちらに目を向けるのが良いと思う。

・「強い」プレイヤーを軽んじ、「上手い」プレイヤーを重んじる
真摯に競技として取り組んでいる人ほど、「上手い」プレイヤーに勝ってほしいと思う気持ちには強く共感するが、「強い」プレイヤーを軽んじる理由にはならない。その結果を受けて今後の自分に活かす道を考えたい。

RSPL
この「強い」「上手い」の言葉にあえて差を見出し可視化して考える際に一番分かりやすい。

おわりに
本文中ではあえて二項対立を過度に強調して記した部分はあるが、基本的には「強い」プレイヤーは「上手い」プレイヤーである。「強さ」を求める過程で「上手く」なるのも道理である。だが、「強い」「下手な」プレイヤーも「弱い」「上手い」プレイヤーも存在しうるということである。また、非常に失礼な表現に聞こえてしまう恐れはあるが過去時制を用いることも出来ると思う。
シャドウバースで勝ちたいと思うならば常に「上手く」なるために努力をすべきであるがそれがとても難しい。
初の試みとなったオンラインRAGEのプレーオフも終わり、アディショナル前のWUP環境もいよいよラストということでこの環境を通じて感じていたことを言葉にして記してみた。個人としては「上手い」プレイヤーとの差を結果以上に感じた環境であった。次環境に向けてアディショナルの時期も良い準備をして臨みたい。

これを書いたことで自身の中であやふやだったり考えずに保留していた事象が一応言語化して説明できるようになったので個人として収穫ではあった。
何か皆様にとっても考えるきっかけになっていれば幸いである。

ここにきて「強く」「上手い」プレイヤーになれるように頑張りたいなどという月並みな言葉で締めくくりたくはないが「強く」「上手い」プレイヤーはとてもかっこよく魅力的である。

どのようなきっかけでこの記事に目を通していただけたかは分かりませんがここまでお読みいただきありがとうございました。

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