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kaoru日記 くるりライブツアー線で。


くるりライブツアー「線」のファイナル、東京公演の初日に行ってきた。めまいがひかないまま、よたよたしながらお台場まで着いて、現地で間に合えば会うことになっていた友人は仕事のため来られなかった。

スタート時間を少し過ぎて、客電が落ち、メンバーがステージに出てきた。聴いたことあるけどライブではほとんど聴いたことない曲、「東京レレレノレ」からのスタートだった。くるりはたまに普段あまりやらない曲やながーいキャリアの中でちょっと忘れかけてた曲を織り交ぜてくる。

何曲目かでぼーっと音を聴いていた。いつもは結構、くるりを観れている嬉しさと音楽に、変則なリズムでも拾っていって、くるりのファンでは珍しいくらいに踊ったりしている。今日はめまいもあったし、いつもよりは落ち着いて聴いていた。


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いつでもくるりのステージ、、特に昔からの岸田くんや佐藤くんを見ていると、大学生の頃から、ということは10年ちょっと前からの、感じてきた、見てきた様々な感情、情景を圧縮して思い出す。そしてどれともつかない感覚に涙が止まらなくなる。若い恋や、少し大人になってからの愛や、今はあまり会わなくなった友人たちや、今も追いかけている青くさい夢や、春や夏や秋や冬に出かけた旅先の風景、その側にいつもかかっていた「ワンダーフォーゲル」や「ばらの花」、「キャメル」や「ブレーメン」。音楽は、音はその時の想いを濃縮して記憶する。わたし以外に常にわたしを側で見てきた人は誰一人いないが、「いつでもくるりの音楽は一緒にいた」ということをステージ上の岸田くんを見るとぶわっと思い出してしまい、涙が溢れてしまうのだ。


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大人になって心の働きに興味を持ち、自分なりにスピリチュアルな探求やヒーリングを学んだ。ヒーリングの世界はすごく好きだが、どこかで自分とはかけ離れた清らかなもの、または「キラキラとした平和な、愛なもの」と感じていて、同時に違和感も感じていた。でもそれをうまく言葉にできなかった。地に足がついていないスピリチュアルが多いからかな、と思っていた。調和や安寧を目指していても、自分自身はいつだって不均衡で不平不満があり、悲しく空しい感情を消せなかったから、そしてそういう感情を表現しているロックが好きだったから、、かもしれない。


ステージを観ていたら、「ロックってスピリチュアルやヒーリングの世界と真逆だよね、わたしって好きなものが矛盾しててどっちがほんと?」なんて思った。ロックが邪悪とかいうんじゃなくて(そういうデスメタルみたいな音楽じゃないし)、どうしても叶えられないものへの憧憬や捨てなければいけないものへのセンチメンタルを唄うことが多い。世界や季節の無常。

「HPも絵描きサイトとヒーリングサイトに分けたし、二つの相反するものが合わさって一人のわたしである、からいいのだよね」なんて続けて思っていた。完璧な調和された魂でないわたしがヒーリングやスピリチュアルのことを語るなんて資格がないんじゃないか、というかそちら側の人間でないのではないか、とずっと葛藤があったのだ。

でも次の瞬間、「ああ」と実感できた。「人は完璧じゃないから、でこぼこの虫食い、不完全な魂だから美しいんだ」と。人は完璧じゃない、と頭では思っていても、心からそう思えたことはなかった。いつも足りない自分を責めていたと思う。でも人が完全になることはなくて、それは人間だから。神様や仏様ではないから、不完全であるのが人間。だから輝く。もがいて、自由や幸せを希求する、だから美しい。人は神様ではなくて、スピリチュアルや宗教の世界は神様(仏様でもgodでもいいのだけど)の世界の調和に憧れて頑張って求めるけど、でも人間らしい美しさをなくすことが目的ではない。

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わたしが感じていた違和感はこれだったんだ。人は人でしかなく、人の可愛らしさは落ち込んだり、もがいたり、苦しんだりして人生を編んでいること。枯葉のように虫食いの、イメージが浮かんで、これを描きたいなって思った(他にも緑の画面や流れる滝のようなブルーのイメージなどたくさんのビジョンが浮かんでくる、くるりのステージ)。

わたしがロックを好きなのはそれをいつでも感じられるからかもしれない。昔、それこそ岸田くんの言葉かもしれないがどこかの音楽雑誌で「ハッピーな恋の歌を歌って成功しているのは(サニーデイ・サービスの)曽我部さんくらい」というようなものがあって、それを今でもよく思い出す。

ずっと人生は苦しくて、叶えられなくて、掴んでもすぐ逃げて行ってしまうって思っていて、楽しさやうれしさもあるんだけど、それ以上に非情な世界の仕組みに絶望していたのだ。でもそれ自体が人を人らしく美しくしているんだね。「かぐや姫の物語」っていうアニメ映画が素晴らしいと思うのだけど結局のところ、それが語られていたと思う。


音楽でもアートでも芸術ができることは、その根本はこういうことなんだろう。


少し強く、それからもっと優しく生きていけそうな気がしてきた。揺れて、ぶれて、情けない気持ちにばかりなっている自分を責めないで、人間らしいと肯定してあげらるようになりそうだから。もっと、不器用な自分をそのままでいいと愛せるかもしれないな。


表現も深くなっていくといいな。


(まだあまりうまくこの感情を文章にできないけれど、新鮮なときに書いておきたかったのです・くるりありがとう〜!)


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