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巫女つづき。わたしの過去生観。

これ読んでくださってる方って、やっぱりpainterの方はアーティストkaoruの日記を読みに来てくださっているのかな。ちょっと巫女な話で、一部の人しか面白くないと思うけど、今日もさらっと・でもかなり重要なことをわかったので巫女について書きます。

わたしの話です。個人のことを突き詰めると全体のことに行き着くというのがアートでもなんでもわたしのモットーです。

わたしは30代女性ですが、未婚、出産経験もないです。気持ちとしては結婚もしたいし、というか出産子育てをしたいです。結婚という制度に自分があわなさそうな気もするのですがパートナーは欲しいです。結婚を考えていた恋人もいましたが、そうはなりませんでした。

わたしの中で女性としての人生を考えると、必ず「アーティストやスピリチュアルなどの自分の本質人生に捧げるか、そうではなく普通の女性っぽく結婚して子育てするか、どちらか」という葛藤があります。なぜか昔からそうでした。でもどっちの夢も捨てきれず、どっちにも没頭できない・・・みたいな感じがあります。ありました。

過去生というものを、信じていますが、今世であまり重要視していない人間ですが、今日ふと過去生のことを考えました。巫女というと思い出します。

一度だけ、過去生をヒプノ的に見てもらったことがあります。巫女でした笑 それから、2年くらい前にひどい風邪(のようなもの)でうなされていた日々に自分の過去生ではないかと思われるものを見ました(これは自分で意識的に作っているものかもしれませんが)。その全てが特殊な仕事のために結婚も、特に幸せな出産が叶わなかった女性でした。

わたしは今回子どもを持つという夢があって、女性としてのふつうな幸せがしたくてここに来たのに、やっぱり巫女的な資質があるためにとても揺れているのでした。巫女的なことははっきり言ってかなり得意だと思います。でもそれを全開にする怖さがあります。ふつうでなくなる怖さというのは、今回の(長年の)夢だった女性としてパートナーと共に幸せに子どもを育てていくということが遠のくから。全開にすると世間様からつまはじきにされ、というかそもそも里のみなさんと交われない、仲間に入れてもらえないという思いがありました。あ、なんか泣きそうです。

でも巫女な資質を隠してふつうの女性として生活するのは、自分の本質を隠して生きねばならないことで、わたし(今書いているわたしではありません、総合的なワタシです)のこれまでの幸せというのは、神様に奉仕する、世界に奉仕する、人様の役に陰ながら立つというもので、それができなくなる怖さもあったのだと思います。


でも今は2018年の現代日本で、今ここにいるわたしはもう職業巫女でもなんでもなく、絵を描きながら仕事もして、スピリチュアルなこともわかる現世巫女なんだよ、と自分に言い聞かせました。古代、巫女は巫女でしたけど、現代は巫女でありながらふつうの女性の生活もできるんだよ、結婚もしていいし、子どもも産めるんだよ。それが現代の巫女のすごいところなんだよ!と言い聞かせました。

わたしはワタシのいいところを生かしながら、結婚もできるしお母さんにもなれる。

ずっとどっちか選ばなくてはいけない。選べないということがブロックでした。お母さんになるならば巫女の資質を捨てなければいけなくて、巫女であるならば、お母さんには(今回も)なれないんだ・・・ということがわたしを滞らせていました。

いやいや、それは間違いで、今回は両方できるから。そういう「今」に生まれて来ているから。


どうも巫女だった時の魂のクセが強かったんですね。現世巫女の人って多かれ少なかれ、似たような気持ちの人多いのではないかと思っています。

繰り返し自分に言って聞かせようと思います。

過去生の捉え方って難しいところあるけど、今回は本当に腑に落ちました。


今日は魂の叫び🌟

これで数年経って結婚も出産もしてなかったら、またちょっと方向性変えたと思ってくださいませ笑

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