トラミといつまでも

友人が語ってくれたトラミ

 コロナ禍前からご無沙汰していた北京在住時代に知り合った友人と6年ぶりくらいに再会をした。この数年のあいだに彼女はがんサバイバーになっていた。わたしはトラミが二十歳の誕生日を迎えた直後の(おそらく)脳卒中のような症状で視力を失い、左半身に麻痺が残り、不定期にくるくるとまわり、足がもつれて座り込む、脱水で点滴に行く、、、という日々に「いつか来る日」が近づいていることを実感した。フルリモートだったので、トラミとはずっと一緒にいることができた。勤務終了後に平日に有休をとらなくても通院することもできた。次第にトラミの症状は落ちついて、食欲がもどったあたりで在宅での水分補給の点滴を提案された。延命治療はしないが緩和治療はしたい、と主治医の先生と話し合ったのもこの頃。「いつか来る日」を考えると頭に浮かんだのは”天涯孤独”と”ひとりぼっち”。夜の鶴見川の土手を泣きながら走っていた。トラミの前では笑っていたかったから。
 「いつか来る日」が来たら、きっと動転してしまうだろう、と容易に想像できたので、「いつか来る日」にやるべきことを紙に書き出し、見えないところにしまった。そのなかのお礼や報告をするひとのリストに彼女の名前があった。彼女は転職後に北京に遊びにやってきたとき、トラミとわたしの部屋に数日間泊まり、わたしが出社している間トラミと過ごしていたことがある。当時トラミはすでにすっかりわたしとの生活に馴染んでおり、「あら?お客さま?」と自ら迎えるほどだった。そして彼女とおしゃべりをしている輪にしっかりトラミも香箱座りで参加していた。彼女はわたしが「トラちゃん、寝ようか」とわたしがベッドへ向かうとトラミが後ろをついていった姿をよく覚えていると言ってくれた。その後ろ姿はわたしが見ることはできなかった姿だ。わたしは彼女がトラミのことを語ってくれたおかげでベッドに飛びのるトラミ、香箱でウトウトするので「先に寝ていいよ」とベッドの上に運んでもすぐ飛び降りてソファのそばに駆け寄ってくるトラミ、を思い出すことができた。

友人の変化

 この数年のあいだに友人の身の上はいろいろ変化があった。以前は代々ハムスターを飼育していたのにいまは保護猫2匹と暮らしている。トラミに会ったころの彼女は自分が猫と暮らすようになるとは思っていなかった。わたしとトラミの姿をみて「猫ってこうなんだ~」と物珍しそうにしていた。そしてわたしが不在中、トラミと仲良く過ごして、猫との暮らしを少し体験していた。あれからもう10年以上。トラミは旅立ち、ハムスター派だった友人は保護猫2匹と暮らしている。今度はわたしが猫と暮らす友人宅へ遊びに行こうと思う。友人は猫との暮らしのなかでトラミを思い出してくれているようだ。

トラミがつないでくれた再会

 コロナ禍とトラミの療養生活と落ち着かないわたしの仕事ですっかり彼女とはご無沙汰していた。合気道の自由技の持久力をつけたいためにジョコビッチの本を読んでからゆるくグルテンフリーになったわたし、友人はがんを経験してから野菜中心とゆるいグルテンフリーになっていた。そしてふたりとも就寝時間が早くなっていた。なんとなく疎遠になっていたが、ライフスタイルの変化は重なるものがあって、今度はヴィーガンを目指すわけではないがおいしい野菜を食べたいのでヴィーガンカフェにいこうと計画をしている。彼女の住んでいるエリアにはおいしそうなお店が数軒あるのだ。野菜がメインになるのでお店の営業は不定期だったり予約制になるのが自然だ。ビルの賃料を払わなければならないレストランでは動物性食品以外の加工品を大量使用せざるを得ないので正直なところあまりおいしくない。おいしい野菜を食べながら、猫草には関心のなかったトラミのことを話したり、保護猫のことを話したり、自分たちより長生きしそうな我の強い両親の話をするのが楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?