トラミといつまでも

かなわぬ夢に付き合ってくれた友だち

 コロナ禍に友人家族が移住をした。軽井沢はスキーに行っていた頃、通ったことはあるけれど泊まったことはなく、あまり縁のない土地だった。コロナが落ち着いたら、なんて言っていたらトラミの点滴生活がはじまった。「トラミが落ち着いて元気になったら行くね」「うん、待ってるよー」そんな会話が何度繰り返されたのか。二十歳を過ぎた猫のトラミが腎臓病末期で緩和ケアのための在宅点滴をしている。軽井沢に行ける日はトラミが元気になってからなんてありえない。わたしも友人もわかっていた。でも医学は進歩しているので、トラミはもしかしたら点滴いらずになるかもしれない、もしかしたらこのまま点滴生活で三十歳まで生きるかもしれない、トラミに三十歳までどうですか?なんて冗談半分に聞いてみたりもした。結局、トラミは22歳4ヶ月(推定)で虹の向こうへ旅立った。その後、実家を出て、わたしがコロナになり、咳が2ヶ月くらい残り、様子を見ているうちに友人は子どもの進学のためにタイへ向かった。友人の夫は軽井沢でお店をオープンしたので学校が休みになると帰国するのでそのタイミングでいつか、となったがコロナの咳が2ヶ月続いたことがトラウマとなり、出かける気に冬はならなかった。

ついに初夏(というか)の軽井沢へ行った

 子どもの夏休みにあわせて友人が軽井沢へ戻ると言う。遊びにおいでと言ってくれた。どうやって行くのかと調べたら高速バスなるものが近くの駅から出ている。新幹線より楽だし安い。軽井沢が急に身近になった。それまで北陸へ出張へ行くたびに軽井沢を通り、「近いなぁ」と思っていたけれど東京駅のあの雑踏なしで行けるとは思っていなかった。計画はとんとんとすすみ、とうとう軽井沢へ。

泣くと思っていたのは誤算、虹が教えてくれた勘違い

 トラミは友人が好きだった。わたしのかなわぬ夢に話をあわせてくれた友人に会ったらまず泣くんだろうな~と行く前は想像するだけでうるうるしていた。しかし実際に会って、話をするとトラミとの思い出話に花が咲き、ずっと笑っていた。軽井沢は昼間の日向は暑い。しかし木陰に入ったり、川のそばにいくと涼しい風が吹いて夕方になると半袖では肌寒い。トラミはこのまま軽井沢に残るだろうと思った。「トラミはたぶん居残ると思う」「ふふふ、そうかもね。どこにいるのかな」、友人はいつも優しい。心地よい軽井沢で過ごしてくれればいいよ、と帰りの高速バスでトラミに話しかけていたら、ふと気づいたら窓から虹が見えた。「ここにいるよ」とトラミが教えてくれたような気がした。そうだ、トラミはもう自由自在で暑さ寒さは関係ないので、軽井沢にずっといる必要はないんだ。わたしのそばにいたり、大好きな友人のいる軽井沢に行ったり、自由自在なんだ。勝手に孤独を感じていた自分を恥ずかしく思い、涙が出てきた。泣いたのは帰りの高速バスのなかだった。人生は誤算だらけだ。まさか帰りのバスで泣くとは想定外。幸い、夏休みシーズン前なのでバスはガラガラ、頬を涙が流れても大丈夫。帰宅してからまた涙が出てきた。これは友人とトラミへの「ありがとう」の気持ちから流れてくる涙。何度か泣いたら気持ちが澄んで在宅勤務だけどPCに向かっている自分の口角があがっているのがわかった。また友人の帰国に会わせて軽井沢へ行きたい。軽井沢がこんなに好きになるのも想定外。人生は誤算と想定外がたくさんあるとトラミに教えてもらった。トラちゃん、いつも本当にありがとう。

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