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トラミといつまでも

毎月22日はトラミの日

 トラミの便宜上の誕生日2月22日、トラミが旅立った日も22日なので22日はわたしにとって特別な日。だからといって何をするわけでもない。いつも心にトラミはいるから。一番の存在だから。

生きるかどうか

 地震のたびに自問自答している。生きたいのか、どうか。トラミがいたときはトラミを守る、巨大地震だったらトラミを抱っこし痛い思いをさせないで一緒に死ぬ、と決めていて一度誤報の緊急地震速報のアラームがなったとき「トラミをジェラピケでくるみ、抱きしめて、痛いの我慢しないとなぁ、これから苦しみがくるのか」と死ぬ覚悟、みたいなのが出てきた。トラミが旅立ってから、戸惑ってばかりだ。守るべきものがもうないってこういうことなんだ。

自分のお墓参り

 そんなときは生前申込みした樹木葬のお寺にいく。いまは木蓮の花が満開で美しい。わたしが死んでも悲しむひとはいない。遺品整理で兄がちょっと困るので受取人を兄にして死亡保険に加入している。少額だがコレで何とかしてくれるだろう。いまの会社にいるうちであれば二百万が母へいく。たった二百万と不満足だろうが屋根か塀の修理にはなるだろう。売るに売れない実家は年季がはいって屋根の側面の飾りタイルが剥がれていて両親はどうでもいいが通行人に落ちたら大変だ。

会社で理不尽な思いをするとき

 トラミがいたときは治療費をどうする、辞めるならちゃんと次を見つけないと、と冷静になれた。いまは保護猫活動に毎月少額の募金をしているので募金継続のために自分を幸せな状態にして稼げるように、戦争がおこらないように政治的発言もチラチラしてみる。上長にモラハラ発言されたとき、凹むけどもう場所にこだわる必要はないのでいまの会社で居心地良くする方法を考えつつ、転職活動もしている。自分が働けなくなったら募金できなくなる。少額でも保護猫たちのご飯やおもちゃの足しにはなっている。トラミと暮らさなければこんなに小さいものへあったかい思いを持てなかったと思う。トラミは旅立ったあともわたしがわたしを嫌いにならないように、なりたくないわたしにならないようにアンカーになっている。

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