トラミといつまでも

よくわからないけど彼岸入り

 「彼岸過ぎまで」夏目漱石?だったかな?タイトルは気になるが読んでいない。彼岸という概念は説明されてもいまひとつピンとこない。ただおはぎの種類が増えるのがうれしい。

ホワイトデー

 バレンタインとホワイトデーは転勤した会社のひとと生存確認のような意味合いで贈り合っている。それ以外はすっかりコロナ禍で消えた。過剰包装と児童労働のことを考えるとチョコに対してハードルがあがる。どうも日本でもカカオを育てているひとがいるらしく、自分でチョコ作りというワークショップもあった。そこまでしてチョコを食べたいか?というと否。自分のなかではホワイトデーもすっかり彼方へいったところ、思いがけず「ホワイトデーつうことで~」と合気道の先生からクッキーを渡された。お年賀や春節に中華街で買ったアーモンドクッキーやザーサイのお礼らしい。地下鉄で3つ4つ離れたパティスリーのお店のものだった。以前所属していた流派でもお年賀という風習はかなりすたれていたが、いまの流派では、少なくともわたしが所属している同好会でお年賀を贈ったのはわたしだけのようで渡したとき「え?」とビックリされ「わざわざご丁寧にありがとうございます!」とこちらが恐縮するようなお礼のことばをいただいた。赤い円形の箱に焼き菓子が入ったお年賀ボックス、初回にお世話になった奥さんや子どももいるので誰かが食べるだろう、と軽い気持ちだった。トラミの症状が一段進み、何となく長時間で遠出の稽古に気が進まなくなり、かといってトラミが元気いっぱいになって休会から復帰するということは現実的ではなく、休会を続けることをやめ、実家から近く単発での出稽古歓迎の旗を掲げている今の流派の門を叩いた。事情を話して「これるときにいつでも」と言ってもらった。結局、ほどなく正式入門していまはせっせと黒帯を目指している。思いがけぬホワイトデーのお菓子(おいしい)、トラミがつないでくれた縁を感じた。

このままいけば二本目の黒帯

 まったく意図していなかったが、このまま継続していれば来年にはいまの流派の黒帯になる。どちらの流派も経験しているひと、男性はそこそこいるが女性はまれ。トラミのために選択をしていたら、何だか道が開けていた。トラミに会いたいなぁ。この気持ちは一生続くのだろうか、それともどこかで区切りがつくのだろうか。トラミの柔らかさを思い出して受け身を取る。トラミのようにきれいな円形の受け身になる日がくるのだろうか。

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