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"裏方" 人生の原点

明日2019年12月1日、私にとって非常に大切な出来事が待ち構えている。
それはまるで、学生の頃の卒業式のように感じる。

1999年8月、横浜アリーナ。
あの時初めてジャニーズのコンサートというものを観に行き、
ジャニーズのタレントたちの美しさや、ショーというエンターテインメントの力に当時中学2年生の私は圧倒されまくったが、一番圧倒されたのが、
"裏方"たちの存在であった。

当時は、クレーンと呼ばれるアーム型リフトを、支柱の根本を人力で回していた。
フライングと呼ばれるアーティストを空中浮遊させる時は、大の大人数名が脚立から一斉に飛び降りて物理の法則かのように、一人のアーティストを飛ばしていた。
そんな景色を目の当たりにした中学2年生の私は、心どころか人生まるごと奪わて、その瞬間に"私はこの裏方になるんだ!!!"とそれは強く強固に心に決め、高校の3年間は全てを捨てて、お小遣い・お年玉・青春の時間の全てをジャニーズの現場に行くことに費やし、とにかくアーティストに関係なく、コンサートやイベントやらに行きまくり、観察しまくった。
学校行事を勝手に早抜けして鎌倉から東京ドームに行ったり、
激安夜行列車に揺られて大阪まで足を運んだり。

その中で、当時の自分が心惹かれたのが "嵐" だった。
こんな言い方をしては申し訳ないが、当時の嵐はあまり売れておらず、
テレビドラマに出てくることなんか滅多になかったし、
それまでは私は、タッキーや山Pが好きだった。
がしかし、2002年さいたまスーパーアリーナ、"HERE WE GO"という嵐のツアーを観に行き、そこでなんでか嵐のコンサートにドハマリした。
嵐5人の仲よさげなわちゃわちゃした感じが気に入って、
そこから数年間、狂ったように嵐のコンサートに通いまくった。
学生ながら、名古屋・大阪・札幌・仙台・福岡・新潟等、地方にも通い、
更にその頃、嵐が売れていなかったから?、舞台への出演も多く、
舞台の公演も当時はオールコンプリートで全ての作品を観た。
これが実は後に大きな要素で、嵐コンサート+嵐メンバー主演の舞台作品を狂気的に観まくった結果、"舞台に関する裏方をやりたい"という決意が更に強固になった。

さらにとても大きな要素なのが、二宮くんが「青の炎」という映画に主演した際、蜷川幸雄さんが監督をされていて、そこで演出家・蜷川幸雄という人物を知ることができたのも、めちゃめちゃ大きかった。
※私は後に、蜷川幸雄さんが学長を務める学校に入学、
蜷川さんの稽古が見たすぎて、当時のニナガワスタジオに電話で直訴、
電話じゃ届かず後に学校で本人に直訴、「お前、顔が怖いぞ(笑)」と
笑われたけど、「来たきゃくれば?」というようなことをたしか言われて、
ほぼ勝手に、彩の国さいたま芸術劇場の稽古場に当てもなく行った。

前述の蜷川幸雄学長の学校のステージ・クリエイト専攻というスタッフ科に入学したものの、エンターテインメントの裏方を志す同士が少なく「お前ら、なんでスタッフ科に入学したんや」と思わずにいられない環境に日々苛立ちながらも(おそらく過去最大級にイライラしていた 笑)自分は独自に、蜷川さんに直訴したり等々、当時の自分に出来ることは全てやっていたと思う。

とにかくどうにかして裏方をやるという夢を叶えたいと四苦八苦していた時、私の人生史上最大級ともいえる、とんでもない事件が起きる。
これは本当に、14年経った今でもハッキリ覚えている。
私の学校にとある方がやってきた。
当時私はなにかのキッカケになればと、ジャニーズのコンサートに行くたびに、見つけた機材に書かれた業者名をメモしていた。
そのメモにある有名業者の方が突然学校に来たのだ。
その時「もうこれしかない!!!」とビビビと思い、アプローチ方法は忘れたけど、とにかく必死でその人に思いを伝えた。
そしてそれが実を結びかけ、なんと、ジャニーズの進行業務を担当している会社の方にお会いでき、お手伝いからスタッフをやらせてもらえるところまでこぎつけたのに、土壇場にきて、「あなたはファンクラブに入っているからスタッフをやってもらうことはできない」と突然言われた。

もう、目の前、真っ白。

いや、理屈は分かるけど、ファンクラブ入ってないとコンサート行けないから学びがないしっていうか、スタッフやりたいとも思えなかったし。
14年経ち、その業界で生きてきた今の自分ならその経緯は分かるけれど、
当時19歳の私には理解なんかできるわけもなく、絶望すぎて、本当に家のベランダから飛び降りようとした。が、家が1階だったため、企画倒れした。
バカっぽい話だが、当時の当人は本気だ。
あの日の悔しさを忘れないために、私のパソコンには未だに、あの屈辱を味わった日から"○日"というのが表示されるようにしている。
*2005年6月19日のようです

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その後、ジャニーズの現場に携わることは叶わなかったけれど、
かなりの苦労の末、別の会社にどうにか入れていただき、"舞台監督"としての人生がスタートしました。

舞台監督第1期は、とにかくツラかった・・・・・・
徒弟社会というか、普通では考えられなような労働環境、徹夜どころか2徹夜当たり前、パワハラだらけ、とにかく思い出しただけで泣けるようなツラい現場の連続・・・・・

正直、よく自殺を耐えたなみたいな環境でしたが、それがあったおかげで、人生において、なにか起きても、多少のことでは動じなくなったのは、たしかだと思う。

その後、一度、舞台の世界を離れて会社員を経験したり、
また舞台の世界に戻ってからは、新たな趣味を得たりして、社会人になってからはジャニーズとはまったく離れた人生を歩み、今ではすっかり現在のジャニーズのことはさっぱり分からないが、
やはり私の裏方の原点は、ジャニーズであり、嵐である。

今年2019年は、嵐が活動休止を宣言したことから始まり、
あのタッキーが裏方になったり、多くのジャニーズタレントたちがセカンドキャリアを選択したり、私自身も色々なものを失い、挑戦→挫折の連続の一年、その最後に、6年振りに、私の原点である嵐のコンサートに行く機会を、神様がプレゼントしてくれたのかな。

先日偶然、現在中学2年生で舞台の仕事をしてみたいという生徒さんの
職業体験に帯同させてもらうことがあり、これまた凄いタイミングだなと思いつつ、その生徒さんがたまたま中学2年生、そう、私が舞台の世界を志したタイミングとまったく同じ。

「ああ。これはきっと、あの頃の自分に別れを告げるべき時がきたんだな」
と思った。
これからの人生、新たなステージへ進むために。

だから私は明日、卒業式に臨むような気持ちなのです。

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12年くらい前かな。ステージ・クリエイト専攻同期の、友達の当時の彼氏に、プレゼントしてもらった色紙。
今日までの私はまさに、こういう人生だった、きっとこれからもこういう人生なんだと思う。

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