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高学歴コンプレックス

ずっと自分で認められなかったことがある。
私は世間で言ういわゆる「高学歴バリキャリ」だということ。
これについて、最近認識を改めたので、思考の変化をメモ。

私の経歴

なんとなくひた隠しにしてきた経歴↓

・国立大学卒業/国立大学院修了(ライフサイエンス修士)
・管理栄養士免許
・某大手電機メーカーIT関連会社→某外資系ITコンサル会社勤務
・IT Service Management 資格(ITIL, SIAM...)
・元ディズニーキャスト、スタバのお姉さん

(おまけ)
私の好きなこと
・海外旅行▶︎2018年は6回
・マラソン、ヨガ、スキューバダイビング
・プリン、コーヒー、オムライス
・ディズニーランド

何の不自由もない生活とキラキラ履歴書が書けそうなんだけど、これ世間一般からしたら羨ましくもあり、みんなが簡単にはなれないらしいということに、最近気づいた。

こじらせ思考だった5年間

2013年、晴れて社会人になり、様々なバックグラウンドの人に出会う機会が増えた途端、自分の経歴を恨むようになった。

まず会社では、学歴でキャラを決められる。出会う男子よりも自分の学歴・年収が上で、相手が引く…デキる女はガツガツして厳しいと思われるんじゃないか。恋愛対象にしてもらえないんじゃないか。友達に仲良くしてもらえないじゃないか、どこかで線を引かれるんじゃないか。
チャンスをもらえることも多かったけど、私を私として見てもらえない感じがなんかイヤだった。(女の子だから…みたいな扱いも含む)

大学の同期は着々と、結婚をして家庭に収まる。広いインターネットの世界では、自分の個性や得意なことを光らせて仕事をしてる同世代がゴロゴロしてる。
そんな人たちを目にする度に、みんなの人生が心から羨ましくて、私は中途半端な人生を歩んできてしまった、つまらない人間だと思いこんでいた。

どんどん思考をこじらせ、会社にも自分にも不満をたくさん溜め込み、かなり気を病んでいた時期もあったけど、2017年の転職を機に環境がガラッと変わり、やっと自分を取り戻しつつある。(よかった)

自分の人生は既に最高だった

新しい会社に入ったとき、オンラインサロンという新しいコミュニティに入ったとき、今の私をちゃんと認めてくれる人がいた。驚いたのは、みんないろいろな悩みを乗り越えて、自分を認めて、キラキラしていること。これまで出会ったことのないような人がたくさんいる。

「自分は他の誰にもなれない。」
「今のままの自分で既にすばらしい。」
いろんなところで聞いてきたこの言葉の意味をようやく理解し始めた。

私の経歴に対して線を引いたり、とやかく言ってくる人は、それが羨ましくて仕方のない人。そこにいちいち付き合わなくて良い。別にそれで私は不幸にならないし。

私は幼い頃から「デキる女」がかっこよくて憧れていて、なりたかった姿を目指して着々と歩んできただけだった。全部叶っているだけなのかも。

※小学生のとき最初に憧れた女性は、向井千秋さん(医師/宇宙飛行士)

デキる女はどこへ向かうの?

それで私って何が「デキる」んだい?って振り返ってみたら、私は好奇心が旺盛で、出されたお題をソツなくこなすのが得意だった。だから社会のレールに乗るのは難しくなかった。平均点以上は取れるので、いると便利人材です( •̀ .̫ •́ )✧

想像力とかクリエイティビティとか、ビジョンは語れないんだけど、そこを悲観したり克服しようとするのは、いったんやめた。

私は新しいことをどんどん学んで、人のキャラクターを見極めて、ゴールに向かって整えていくのが得意っぽい。何かを教えたり畳んであげたりすることが、価値になるような気がしている。(気がしている)

今のところ、何者かになりたいとは思わないけど、毎日好きな人と楽しく過ごせれば良い。

もっと好きな人たちに出会えて、もっとデキることが増えてくると、もっともっと毎日が楽しくなる予感がしている。

“楽しい!”っていう心の叫びが、全てだと思うんだ。

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