見出し画像

城崎0401

 城崎に来て8日が経った。ここでの「生活」がイベントじゃなく生活に落ち着いたようで、あふれ出す料理欲もおさまり、なるたけ簡単に済ましたい。温泉も、遠くのに入りに行くのが面倒くさくなってきた。

* * *

 安田登『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』を読んでいる。KIACの「動く本棚」にあった。木村敏『あいだ』に続き、この本にもまた私が演出するときに考えてることが書いてある!
 以下、ピンと来た部分の、できるだけ引用しつつの概要。

  西洋音楽のリズムは、指揮者が「棒を振った時点で、そこにはまだ存在しない未来の時間が決まっている」「つまり、四拍子というのは、未来の時間をあらかじめ確定し、それを四等分すること。指揮者が一拍の長さを示すことで、それに続く未来が決まっていく」。
 「対して、「今」を刻むのが」能の拍子。「未来がどうなるのかはわかりません。拍子は、そのときその場所にいる人の呼吸で決まります」。拍子が基本になっている日本の歌の例として、鞠つき歌。「西洋音楽のリズムに慣れた今の子たちは、自分が決めたリズムに合わせて鞠をつこうとします。すると、鞠の弾み方が狂うと途端に鞠つき歌が歌えなくなったり、鞠を取り損なったりします。鞠つき歌の本来の姿は、鞠の弾みに合わせて歌を歌うことです。いうなれば、鞠つき歌をどう歌うかは、鞠が決めているのです。今とは違って、整地されていない地べたに向かってつく鞠です。未来の鞠の弾み方は、鞠をついている人にも予測はできません。「今」の弾みに合わせて歌を歌う。それが「今」を刻むということであり、「今」の連続が拍子をつくっていきます。拍子には、常に「今」の一拍目しかないということもできます」

 安田さんの書いていること、すごくよく分かる。西田幾多郎の「非連続の連続」というのも、こういうことなんじゃないか。創作の話だけじゃなくて、生きるというのはこういうことだと思う。あらかじめ確定された未来に上手にはまろうとすると、死んでいく。
 拍子はあらかじめあるものじゃなくて、「今」の連続で生じていくしかないもので、私はそれが生じていくように稽古場をつくっていきたいんだけど、「リズムに合わせて歌おう」としている俳優さんが、私の言葉を「未来の時間を確定していく指揮棒の一振り目」として聞いてしまうと、齟齬が生まれる。そしてそれは、返し稽古を重ねるほど開いていく。
 ……ということが、上手くいかないときに起こっているんだな、とこの本を読んで言語化された。どういうスタンスで生きるかということは、そんなに簡単に変更可能なことではないけど、少なくとも食い違ったまま食い違いを開かせ続けるのはやめたい。

 鞠つき歌の例でいくと、鞠をつきながら歌う人が俳優で、鞠とそれをつく環境・状況(デコボコの地面とか)を作るのが作・演出だろうか。私の中で、ベストのデコボコ感をあらかじめ定めるのは難しい。それは、俳優が鞠をついて歌ってるところを見ながらしか決まっていかない。
 鞠が戯曲にいちばん近い気はする。どんな鞠がいいかには、デコボコ具合よりこだわりを持ってしまいそう。だけどそれもやっぱり、俳優のつき具合を見ながらしか本当には決まっていかない気がする。「決める」ことが出来なくて、なんか自ずと「決まっていく」ときが、いい感じのときだ。
しかしそれを(鞠を)、作ろうというのが今回の城崎滞在なわけですが。

 * * *

 劇作と演出の関係性を、2013年にカトリ企画で岸田國士の『紙風船』を演出したときから考え始めた。考え始めて、私はどうも「劇作家」ではないみたい、ということでそう名乗るのやめよっかな、と思うようになったところで岸田戯曲賞にノミネートされて、あらーそしたらもう少し考えてみようか! と思った。で、考えは続き、今年もう一度ノミネートされ、3月にやった「鳥公園のアタマの中」展でも「劇作家として、自立した戯曲というのが私に書けるものかどうか試してみようと最近は思っています」とか言ったりして、それはそれで真面目に考えてるところでもありつつ本当は(「本当は」ってなんだよって感じだが本当は)どっちでもいいっていうか、私のいちばん興味があるところ、大切にしたいところではない。
 「作・演出というあり方がスタンダードになっていることは、日本の小劇場界のけっこう重要な問題なんじゃないだろうか?」ということも、わりと継続的に発言してきたんだけれど、(プロブレムというよりはトピックというか、生じているプロブレムにアプローチする切り口としてあり得るとは今も思っているのだけれど、)でも私自身はたぶん、作・演出家というやり方が一番しっくり来る。というか、私のやりたいことはその形態でないとやれないっぽい。

 再び、『あわいの力』(p.22~23)からの引用。

「能には古くから伝わる演目が数多くありますが、明治になるまでは、そうした作品の多くはアノニマスで作者性がありませんでした。誰も自分が書いたことを主張しないし、誰が書いたかなんて、誰も重要だと思っていなかったのです。作者が誰であるかに目が向けられるようになったのは、西洋的な批評的視点が持ち込まれた明治以降のことです。
 能の世界の超有名人といえば、間違いなく世阿弥です。
 世阿弥はたしかに実在した人物ですが、「世阿弥作」と伝わる作品が、本当にすべて世阿弥が書いたかというと、必ずしもそうもいえません。明治以降にわかってきたことですが、成立年代や作者性を評価した結果、これは世阿弥の作品ではないということが指摘されている作品もあります。逆にいうと明治以前の日本人にとっては、そういうものもひっくるめて、「世阿弥作」でまったく問題がなかったということです。そこには、「個人としての世阿弥」という観念はありません」

「世阿弥が書いたとされる『風姿花伝』も、父である観阿弥の言葉を世阿弥が書き写したものです。どこまでが観阿弥の思想で、どこからが世阿弥の思想であるかということはわからないし、はっきり区別する必要もなかった。自分の成果を気にしなくていいどころか、他者から完全に切り離された「個人」という感覚さえ、持ち合わせていなかったかもしれません」

 * * *

 作品がアノニマスな状態で存在し得るという状況を、いいな~と思う。私個人の名前でなにかを引き受けようとする態度というのは、本当に必要なんだろうか? 作品の評価とか責任とかいうことが誰に属するか確定させるということって、そんなに大事なことなんだろうか?
 これは、責任逃れしたいとかいうことでは、ないつもりなんだけれど。

 「書くことの権力性」みたいなことを、去年『ヨブ呼んでるよ』を書いたときに考えざるを得なくなった。今はまだ、そのことが自分のナイーブな階層、なにかとすぐ顔を出して考えたり言語化したりしてしまう位置にある。
 何かを本当に考えるということは、考えようとして考えるようなことでは届かないところに位置を占めることだと思うから、時間がいる。
 社会のことを考えるということも、分かりやすく社会的なテーマを扱うとかそういうことじゃなくて、そんな風に説明可能な形で応えることじゃなくて、もっと大事にできると思う。大事にできるというのは誰が、誰を(何を)かというと、作品をつくる人が、作品に登場する人や出来事も、「こんな作品になんの意味があるのかわからないんですけど(説明して)!」と問うてくる人も、つくる自分自身のわかりやすいわけではないあり方も、だ。
 方便はだめだ。一瞬は通りが良くなるかもしれないけど、かえって信じられなくなる。そしてそのよじれを回復するのに何倍も時間が必要になる。

 だいぶ前(調べたら2012年だった)に悪魔のしるしの『桜の園』(SAKURmA NO SONOhirushi に打消し線が引かれているのが正式な記載だと思うんだけど、ここには打消し線の機能がないっぽい)をトーキョーワンダーサイト渋谷で見たとき、そこで発語される台詞はほとんど『桜の園』じゃないのにものすっごく『桜の園』だーーー!!! と思って、そのあり方をすごくいいと思った。アフタートークで危口さんが、「署名のない作品をつくれたらいいなと思う」と言っていたのをよく覚えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?