水うちわサロン_岐阜

「らしさ・・・」っていったいなんだろう


これまで、石徹白らしさ、とか
私らしさ、という言葉をたくさん使ってきた。

「らしさ」って一体なんなんだろう、
とこの頃考えるようになった。

「・・・らしさ」という言葉を使う時、
ときに、決めつけるような乱暴さがあるように思う。

「・・・らしくないね」、と言われると
なんだかちょっと傷つく、または
違和感を持つというのは、
「・・・らしい」というのは
自分の中、あるいは社会の中で
規定されているようなものに感じるのだ。

だから、私がここで「石徹白らしさとは」とか
「私らしさとは」と書くと、
そうじゃないのになあ、と思われることも
あるんじゃないかと思う。

この前、石徹白洋品店の仲間と一緒に
ブランディングに関するワークショップをした。

石徹白洋品店って、どんな特徴のお店なのか、
強み・弱み・イメージは・・・?

みんな、それぞれの視点でいろんな意見が出て
とても面白い。
そして、改めて気づく。

あ、石徹白洋品店は、私が始めた頃と
(いい意味で)違うものだな、と。

私一人で始めて、やっていた頃。
藍染を始めて、まりさんが来てくれてから、
デザイナーのひとみちゃんが来てくれてから、
総務のまりっぺが加わってくれてから、
・・・・
そして、今、ここにいてくれるみんなの
それぞれの個性が、混じり合って、
石徹白洋品店は常に変化している。

このワークショップ中、
なんだかとても客観的に
ちょっと他人事的に
石徹白洋品店を眺めていた。

ああ、石徹白洋品店って今、
こういう風になっているんだな、って。

私は自分が始めたから!というこだわりが
全くないわけではないんだけれど、
結果として、ここに加わってくれているみんなが
満足して居られる場になったら、いいなと思っていて
それが、常に変化していく石徹白洋品店「らしさ」
であって欲しいと思う。

服をつくっているブランドなんだから
ファッション性、コンセプト、先鋭性は
当然大事だし、発信する時の写真の選定とか
雰囲気の伝え方には力を注ぐ必要がある。

けれど、それとは全く別で、
みんなの力が合わさる交差点としての自由な場で
あり続けたい。
(今、そういう状態だと信じている)

きっとそれは、私自身が自由でいたいからだ。


子供のことでいろいろと心配したり、
資金繰りのことで頭を悩ませたり、
・・・

でも、いつだって、どんな状況でも
自分が「やりたいと思えること」ができる
心の自由さを持っていられれば、
それによって遭遇する「大変さ」は
実はそんなに大変ではなく、
愉しむことのできるものになる。

「やりたいと思えること・・・」
私これやります!という声明を出すくらい
大げさなことではなくても、
ああ、今、おいしいコーヒー飲みたいなあ、
と思ったらすぐに淹れて飲める環境に自分を置く とか
この街で暮らしたいな、と思えるところに住んでみるとか、
この人と一緒にいたい、働きたい、と思ったらそうしてみる、
というのも、自分の心が自由で
自分に素直にいてこそできることなんだと思う。


話は戻って、
私が住んでいるこの地域、
「石徹白らしさ」って何か。

これは当然、私は規定できない。

ここに暮している人たちの中の一人である私が
眺めることのできる「石徹白」はほんの一部。

ここで生まれ育ったわけではなく移住者の一人であり、
この地域に住んでいる人全員と交流があるわけではないし、
皆と知り合いでもない。

地域の歴史文化を熟知しているかといえば
全くそうでもなく(好きだから努力はしているけれど)、
この地域の自然を完全に満喫できているわけでもなく
(いつかは登山が趣味!とか言ってみたい・・・)
食文化と言われるものもお漬物など
生活に取り入れているとはいえ
それが正式なレシピなのかもわからない。
(でもすごくおいしくできる!)

だから、私が「石徹白らしさ」とは、と語るなんて
100年早い!(というか、100年経ったって語れない)

だから、私が感じる「石徹白らしさ」は
私独自の世界。
私のこれまでの経験を合算した上で
私の脳みそから生み出されるもの。

それでいいと思っている。
(というか、そうでしかないと思っている)

そして、私は本当に、石徹白が好きで、
その理由はいくらでもあって、
その愛しい石徹白をいろんな人に知ってもらいたい。

「石徹白は山奥だから不便じゃないですか?」
「買い物とかどうしているんですか?」
というような内容は、取材があるとほぼ100%聞かれる質問だ。

私は、
「全く不便じゃないです」
「買い物はまとめてすればいいので、
お金を無駄に使わなくていいです」と答える。

本気でそう思っているからだ。

よその人は
「山奥=不便」
「買い物ができない=不便」
石徹白=不便
と仮説を立てて、私に聞いてくるので
私が
石徹白=快適
と話すと、大きく目を見開き、
私の顔をまじまじと眺めて、一様に驚く。

私にとっての、石徹白での生活は
本当に快適そのものであって、
それは私の心が決めているもの。

そして、そう思っているから実際にそうなっている。

いやだいやだと思っているとそうなるし、
いいないいなと思っていると、そうなるのだ。


私は自分の生まれ育った岐阜市は
好きではなかった。

なんでかというと、周りにいる人たちが
「岐阜市って何にもない」
「岐阜ってつまらない」と言っていたから。

それが、学生時代から、岐阜を面白くしていこう、
とか、岐阜のことを知ろうとフリーペーパーを作る
活動をしている仲間に出会ったら
びっくりするくらい歴史深く、豊かな文化を持つ
岐阜市が面白くて、大好きになった。

その人たちの活動は今も続いていて
今の岐阜市のまちづくりを支えて、
岐阜は確実に、変わったと、私には見える。
(実際に、私が岐阜のことをつまんないと、高校生くらいまで
思っていたけど、私より10歳下の岐阜市の子は
高校生の時、岐阜市はとても面白い!と感じていると言っていた)

よりよくしたい、
よりよくありたい、と思い始める事だったり
その思いを発端に少し動いてみたら、
実際に、そうなっていく。

だって、うまくいかなさそうだったら
また考えて、よりよくしていこうと思うわけだから
良い方に進んでいかないわけがない(と私は信じる)。
(そうならない時は、そうならない何か理由が
ある・・・と考え改めるかな・・・。)


ポジティブでいればポジティブになり、
自由でいれば、自由になり、
楽しくいれば、楽しくなる。

たくさんの小さな、立ち現れてくる心配事や悩みなんて
すぐに解決していくし、解決しなかったら
抱えたまま進んでみればいいと思ってる。


だから、石徹白洋品店についても、
よりよく楽しくするために
どうしたらいいかいつも頭のどこかで考えている。

物事が固定されているように見えるのは思い込みであって
そこにいる人たちによって、必ず変えられる。


そういえば、こういう考え方って
私は何がきっかけで、得られたのかと思うと、
中学校の部活の経験が大きいかもしれない。

私は中学に入学後、テニスに憧れて、軟式テニス部に入った。

そしたら、1年生は、ずっと球拾いと素振りだった。
しかも、可愛くてヒラヒラした憧れの「スコート(ミニスカート)」は
履けなくて、ずっとブルマーで、球拾いと素振りのみ。

2年生になったら、やっと、
テニスコートに立ってようやく打つ練習ができる、
上下関係は常に絶対的であるという、
くだらない「伝統」のある部活だった。

1年生後半になって、ようやくコートに立って
玉打ちの練習ができる頃には、
強い学校の選手とは、想像できないくらいの
実力の差がついていた。

キラキラと瞳を輝かせて、
入ってきた可愛い1年生たちが
数ヶ月のうちに、どんよりした曇った眼差しになっていって
しかもテニスが上達しなくて、試合に勝てないなんて、
こんなありえない「伝統」を覆そうと、
私と、もう一人、中心的な子、二人で
その「伝統」をなくすことに。

まず、1年生から、スコートを履く。
そして、すぐにコートに立って、玉打ちができる。
(球拾いは学年問わずみんなでやる)
卒業した「先輩」から圧力はあったけど
(そんなことって今なら時代錯誤なのか、
今でもあるものなのか・・・)
そんなこと気にもしなかった。

そしたら、部活の雰囲気が全体的に明るくなって、
どんどんみんな強くなってきた。
しかも、私たちが始めた新しい「伝統」は
次々に伝承されていって、テニス部は上下関係が
なくて、楽しい部活と認識されるようになった!

環境を変えたら、つく力も結束力も、
そして、その後に続く全体の雰囲気も変わっていくという
大きな経験だった。

だから、違和感があることを
自分たちで変えていくというのは
自分のためでもあるし、
もしかしたら、次の世代のためにも
つながることかもしれない。
(むしろ、今を生きる私たちが
変えなかったら、誰が変えられる!?)

私らしさ、
石徹白洋品店らしさ、
石徹白らしさ、

そして、それらの未来は
一人一人の思いで
築かれていくものなんだと思う。

だから常に、より良い未来を描きながら
動いていきたい。


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