居場所を求めて〜メンタルトレーニングに出会って資格取得するまでの道のり②〜

皆さんこんにちは。
仕事で高知県に向かっている車内からお届けします。
前回は、「メンタルトレーニングを伝える立場」と出会ったところまでお伝えしました。今日はその続きと参りましょう。

サッカー部の顧問の先生からたった一言、チーム内でのメンタルトレーニングのリーダー役を「やるか?」と聞かれた私が、なぜ何をどうすれば良いのかわからない状態で、「やります」と即答したのかと、皆さん気になったかもしれません。その理由は、「できると思った」という種類のものではなく、サッカー部に入部してからチームに貢献できていないもどかしさをずっと感じていて、自分の「居場所」を求めていたからでした。

私は天高サッカー部史上初めての女子部員で、先輩も同期もどう接していいのやら戸惑いながらのスタートだったと思います。公式試合には選手登録ができないので、練習試合に出場させてもらってはいましたが、プレイ面でチームに貢献できてはいませんでした。また、チームには女子マネージャーもいましたが、私はその役割をするわけでもなく、自分がチームにいる存在意義を私自身作り出せずにいたのです。最初は、あえて女子マネージャーから距離をとって過ごしていたのを覚えています。「なんやプレーヤーって入ってきたけど、結局はマネージャーか」と思われるのが怖かったのです。

なので、「メンタルトレーナーの役割」が何かはよくわかっていませんでしたが、これでチームに貢献できるかもしれない、との想いからとにかく必死でした。「選手ともマネージャーとも違った角度からチームに貢献したいと思います」と、メンタルトレーニングのリーダーとして最初にチームに所信表明をしたのですが、これがスポーツメンタルトレーニング指導士としての原点であり、「自分は自分の専門性を活かして、他のスタッフ陣とは異なる角度で、選手、チームに少しでも貢献したい」という想いは今でも変わっていないな〜と思います。

こうしてメンタルトレーニングを学び始め、もちろんできることは少なかったですが、メンタルトレーニングを実施する際のリーダー役として活動しました。この活動を聞いた担任の先生の紹介で、現在は私も同じ資格取得者になりましたが、メンタルトレーニングを実践している高校の先生に出会いました。

サッカー部の部活が休みの月曜日、自転車でその先生の元へ行き、基礎の基礎のメンタルトレーニングを教わりました。それをサッカー部に実践し、その結果をまた月曜日は先生に見てもらう、といった学びを3ヶ月間継続できたことも、とても大きな経験で、先生方には感謝しています。

こうした学びを経て、大学受験のために、春季大会が終わった4月で引退する3年生も多いなか、試合に出ることもない私でしたが、メンタルトレーナーとしてできる限りはチームに関わりたいと、選手権予選まで部活動を継続し、高校3年生の10月にサッカー部を引退するまで活動しました。

最後の練習試合の日、いつもはA戦の後の3本目くらい試合の途中交代で少しだけ試合に出ていた私に、顧問の先生が「今日はあなたに試合をあげよう」と言って、3本目の30分の試合の最初から出場する機会をくれました。その時は、先生が言ったこの言葉の本当の意味をもわかってはいなかったのですが、、

試合が始まって数分後、「選手交代」という声と共に、A戦に出場していた選手がずらっと入ってきたのです。私は本当に驚きました。そしてその時、先生の言葉の意味を悟りました。試合は、選手たちが私にボールを触らせよう、シュートを撃たせようと、必死にボールを繋いでくれました。シュートを入れることはできませんでしたが、一本、ゴールの枠内に向けてシュートを撃つことも出来ました。あの時間は私の宝物です。

このような部活動を経験した私は、大学受験を考える時には、もっとメンタルトレーニングを学びたいと思い、心理学とスポーツ心理学を学ぶことができる大学受験を決意したのです。

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