わたしの金木犀
先日誕生日を迎えた。成人した。名実ともに大人になってしまった。年、とか時間の概念を考え出した人って誰なんだろう。中学卒業したての15歳から私を取り巻くものと時間はとろとろ区切りの無いように流れ、それもここにきていきなり20歳ダ!というハンコを押されたような気分。私の母親くらいの年になって振り返れば19歳と20歳は明確に違ったと感じるだろう、なんて、考えただけでうんざりする。
秋にばったり立ち会う回数が増えた。その瞬間瞬間で厳粛な気持ちになる。「ちいさいあきみぃつけた」のフレーズが頭を巡る。
大学構内に入る一本道でふと顔を上げると、遠くに、建物の間をくぐってできた陽だまり。優しいオレンジ色だった。昼間。夏の昼の日差しに色はあったっけ、と考えて深く息を吸う。誕生日は一人で迎えた。友達の家へお邪魔する準備をして、でも友達はわたしを一日中甘やかしてくれるつもりはまあなかったらしく、しばらく連絡が付かなかった。バイト終わりで最高に気分が上がっているのに、と見た家の下の昼下がりの道は秋だった。生まれた日が一日違う子と時間つぶしにラインをした。
「夏生まれの子は」という話を思い出す。夏生まれの子は他の季節に生まれた子よりも夏を一回多く経験していて、というのをどこかの本で読んだ。じゃあ秋生まれの子は。秋生まれの子は、どこか根っこの奥深いところで似ている気がすると思うのはロマンチストだろうか。この静かな季節に生まれたことは、あの金木犀の香りが極上なのにさらっと消えてしまうように、それぞれの人生にベールをかけている予感がする。
金木犀の香りの香水が話題になった。天然の香りを手のひらで包み込めるくらいの瓶に閉じ込めて値段を付けて売るなんて、なんと傲慢なことかと思う。秋以外の季節に金木犀の香りを嗅いでも、秋の金木犀には敵わないだろう。背筋を伸ばす後ろ姿のような澄んだ空気に広がる金木犀の香りでなきゃいけないし、空は晴れてて青くなくちゃいけない。
私は黄斑がひどかったらしい。マタニティブルーを挟んだ母は、こんな風に生んでごめんねと自分を責めたと言っていた。今の傍若無人ぶりからは想像できないしおらしさだ。看護師さんは「一週間くらい日に当てておけば消えますよ」と事も無げに言い、母はそれに従って私に日向ぼっこをさせた。……たぶん窓を開ける度に金木犀の香りがした。せつない気持ちで私を見つめた晴れの日も。大きいお腹を抱えて道を歩いた時も。だから私の金木犀、という感じ。血に、魂に流れている金木犀。これを友達に言ったらハ?と言われた。当たり前だ。
と、書いていたのが10月の初め。もう11月になる。本当にここの季節の移り変わりは目を見張るスピードだ。初冬だね。『寒くなれば、寂しさもどうでも良くなる』好きなフレーズ。5年くらいナンバーワンだった小説が心に響かなくなった。恋が始まりそう。手や、声や、後ろ姿を見る度どきっとする。
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