“スウィートネス”は誰のものか
勿論NONA REEVESのものなんですけど。
拙いながら、今私の中で大ブームが起きている“スウィートネス”について、ふと浮かんだモヤモヤを書き出してみました。
考察という上等な体は成していないです。一般的な、ひとフレーズ毎に解釈を付けるスタイルではなく、私はこう感じました!という作文です。
お時間のある方、是非最後までお付き合いいただければ幸いです。
そして、もしよかったら、このモヤモヤの正体を誰か答えてー正解を教えてーの精神で書いてますので、ご指摘お待ちしております。
■ラブソングに込める期待と願望
とかく音楽界しかり文学界しかり、創作者は恋愛を語ります。
耳触りの良い、胸を掬う甘美なラブソングは、恋を経験した誰もに突き刺さり、また名曲として永い時代残り続けていきます。深い悲しみを共有するより、大袈裟でも恋を謳歌し、背中を押す汗臭い応援歌より、奔放な一時のメイクラブに興じた方が需要があるような。
こちらのリンク先を見ていただければ、私が何を言わんとしているかご理解いただけるかと思います。参照元→yahoo!知恵袋「恋愛の曲や歌が多いのは、なぜでしょうか?」
こと恋愛ものに関して言えば、「1+1=2」のように、ちっちゃいお子さんでも分かる単純明快な式が出来上がっているのです。そんな土台が出ているからこそ、1+1=田んぼの「田」であったり、いちたすいち「わに」であったり、多少の変化球を加えたとしても、言わんとしている、根源的なテーマについては軸が全くぶれないで済むのでしょう。…余計分かりにくくなった感は否めませんね。
NONA REEVESも、恋愛を軸にした名曲を数多く手掛けています。
しかし、私個人だけが抱えているかもしれない「ラブソングお腹いっぱい説」を、郷太さん、オッケンさん、小松さんは華麗に解決してくれます。
特に、郷太さんが紡ぐ歌詞。ともすれば青臭いような、少し照れくさい青春チックなものから、酸いも甘いも噛み分けたシックなものまで、彼の世界は一つのテーマに留まらず、どこまでも広がりを見せ、ポップで煌びやかなメロディーを包んでファンの元へ届けてくれます。
例えば、“GIMME GIMME”の「ハレー彗星に~…」のシーン。え?ハレー彗星乗っちゃう?時間かかりまくるじゃん?もしかして、「気の遠くなりそうな時間が経っても、変わらずあなたを想い続けるよ。だから僕にも愛を頂戴」という告白…?だとしたら、惚れないのがおかしい。こんな一途な人他にいますか?愛さなければいけない…
そんな懸命な愛を歌ったかと思えば、“君はザナドゥ”では失恋シーンを「桃源郷」だなんて、やけくそ気味に振られた理由を正当化しちゃったりして。あー分かるよ分かるよー。「恋してしまったのは認めるけど、振られたのは君があまりに高嶺の花過ぎるせいさ」みたいなね。「恋の雪崩~…」の一節は、にやけてしまう程フェティッシュな自虐だと思います。すごい可愛いですよね。オッケンさんが歌ってるっていうのもすごい可愛い。マジ可愛い。ザナッドゥ~。
という具合に、読み解けば読み解くほど、彼の語る愛についての新しい回答が、強い期待と願望を混ぜ込んで顔を出してくれるのです。
空想だからのめり込める世界。文字ではないと表現できない世界。その境界線を簡単に乗り越えてみせ、現実世界にいる私達に届けてくれる郷太さん、NONAは最高にマブいです。言葉の力を信じていなければ、聞き手の想像力を信じていなければ書けない曲ばかりだと思います。委ねられた身としては多少は緊張してしまうのですが、きっと彼らはそんなことは気にしていません。だってそんなもんだから。
■“スウィートネス”には誰もいない
こっからが本題なのです。前置きがえらく長くなってしまいました。馬鹿の癖に語りたがりなのです。勘弁してください。
皴の少ない脳みそで読み込むと、彼らの曲に限らず、どの曲にも、どの作品にも、必ず語り部が存在します。
語り部達は、自身の感情を様々な単語に託します。恋に焼き付く胸の痛みを、目を腫らしてしまう位の焦燥を、触れた指先の温かさを、ヘッドフォン越しの我々に雄弁に語ります。
こんな具合で、表現したい色とりどりの恋模様は、おおよそ4~5分間を駆け抜ける彼/彼女らの目線がなければ、そもそも歌としては成立しない訳です。
以上の前提をもって、今回のテーマとして掲げている2003年7月23日発売のアルバム「SWEET REACTION」収録曲“スウィートネス”を一緒に見ていきましょう。
まず、タイトルから見ていきます。
「SWEETNESS」とは、「甘さ、甘味、甘美、快楽、優しさ」という意味の他に(参照元→英和辞典 Weblio辞書「SWEETNESSの意味・使い方」)、恋人への呼びかけとして「きみ、あなた」という感じで使われているそうです(参照元→yahoo!知恵袋「アメリカ人の彼が、いつも「Hi, sweetness!」と呼びかけてきます。」)。
タイトルにも付けられ、何度も繰り返し、それこそ呼びかけるように使われている様子から、「ぼく」がとても「君」を愛しているんだなあと伺い知ることができます。
まさに“スウィートネス”。愛を語るには最適なキーワードのひとつであると言えるでしょう。
だからこそ、私はこの曲に強い違和感を感じてしまうのです。
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■違和感その1…他の曲と比べると明らかに語り部の登場頻度が少ない
比喩表現は相変わらずエッジを利かせて輝き、美しいストリングスと相まって「君」へ捧げる歌として、アルバムでも、いや、これまでに発表された全ての曲の中でも私的ベスト3に入る名曲となっております。
ただ、少しの異彩を放って。
SWEETNESS
ぼくを知る人のいない街に逃げ出すのなら
LET'S TAKE A DRIVE
君だけを連れてゆきたいなって思えた
(引用元→NONA REEVES"スウィートネス")
前提として語り部が居ない訳ないし、しっかり自分語っとるがな!と思われた方もいらっしゃると思います。居るのは居るんです。この位なのです。自己主張が少ないのです。
気にしない
あいつらの言うことなんて
そんなのは朝起きたときに
降っている雨とおんなじさ
(引用元→NONA REEVES“UNDERGROUND”)
ダンスフロア 夏が通り過ぎても
ダンスフロア 君を忘れはしないから
倒れてゆく
ダンスフロア 涙を流してる僕は見ないで
(引用元→NONA REEVES“LOVE TOGETHER”)
くだらないものを焼き捨てるオマジナイ
アブラカタブラ!
消えちまいなよ インターネット
笑い上戸な癖はそのまま
ほら、死んでも治らない
(引用元→NONA REEVES“ブラックベリー・ジャム”)
三度目の正直で伝わる恋ならば 泣いた日も無駄じゃない
自由奔放な君がくれた 特別な微笑み 覚えてるぜ
(引用元→NONA REEVES“麗しのブロンディ”)
このように、UNDERGROUNDにも、LOVE TOGETHERにも、ブラックベリー・ジャムにも、麗しのブロンディにも、匂い立つような「彼」の存在感があるのです。彼らは自らの思考を語り、君への思いを滾らせ、そして最後に人生や君への熱烈な告白でトラックを走り終えます。
が、一方のこの曲には、行動・思考に伴う視点移動がないというか、情景描写に徹底しているというか。詩的というよりは神話的で、語り部の個性をあまり感じられないのです。
これまた感覚的な話をしてしまって申し訳ないのですが、NONAのイメージとして「ギター片手に女の子の横で弾き語ってる青年」と、ぼんやり思っています。あんなキラキラした(技術的にも機材的にも)音楽なのに何故に弾き語りかというと、そんな感じがするからです。語ったって歌ったって奏でたって、いつだって初恋のような、恋に恋焦がれているような(GLAYのグロリアスめっちゃ良いっすよね)甘さをずっと持っているような気がするのです。
だから、タイトルでいうところの「甘味」は控えめで、やけに他人行儀で、一歩身を引いているような。そんな違和感を感じています。
もっと言えば、ディスプレイ越しに見る有名人に語りかけているような。「ぼく」と「君」は立つ階層が違い過ぎる気がします。遠いどころの話じゃない。
生まれてきたのは君のため
(引用元→NONA REEVES“スウィートネス”)
と思いきや、上記のように自分の価値を全て「君」に明け渡してしまう程に急に傍まで寄っていきます。放り出している、とでも言いましょうか。
あまりに盲目的。それ程までに愛しているんだ!と言えば聞こえは良いですが、おそらく、「君」は「ぼく」の存在すら知らないでしょう。どんなに彼が熱を上げようが、コールアンドレスポンスが全く成立していないからです。
これまでの彼らの曲であれば、一緒に踊りだすであったり、ちょいと小生意気な投げキッスを返したりだったり、何らかのリアクションがあったと思いますが…。今回は全くナッシング。うーん…。
以上が、違和感その1です。だいぶ長くなってしまいました。
■違和感その2…透明な君
更に、この「君」も、語り部と同じく存在感が限りなく薄い。ばあちゃんが作ったちくわ入りのチャーハン位味が薄い。美味い/不味いの話ではなく、もうひとスパイス欲しくなりませんか?という意味です。そのスパイスが上で挙げたリアクションだったりするのですが…。ツンデレさんなのかな?違うか。
そう思ってしまう理由も、その1で語ったことと重複するのであんまり書きませんが、「ぼく」と「君」がふたりで居る場面が少なく、また「ぼく」視点からの「君」の様子が伺えないんですよね…
SWEETNESS
君のそのあたたかな指で頬に触れて
SWEETNESS
今まで味わった散々なクライングを軽く笑って
シンクロナイズド・スイム
七色の彼女達 溺れ出すような眩しさに
(引用元→NONA REEVES“スウィートネス”)
…何か、ふわっとしてるんですよね…。
主張するにしては根拠が少なすぎるので、他の名曲から彼女たちをお連れしましょう。
その魔術師みたいな合図 そそのかす花言葉
君のダンスはオリジナル・ステップで
睡眠に惑わされ 破れた意識で見とれた
(引用元→NONA REEVES“RHYTHM NIGHT”)
ふたり はじめて会ったのは偶然で
重なり合って 刻みつけてった
ぼくらの愛のヒストリー
(引用元→NONA REEVES“History”)
LADY 君と観ていた
古い映画のエンドロール
手を伸ばせば届いたはずさ
でも無理みたい
(引用元→NONA REEVES“夢の恋人”)
どうか君はずっと許さないでいて
僕を忘れないために
(引用元→NONA REEVES“still”)
これが根拠?等のご意見は受け付けません(涙声)。
語り部の時もそうですが、自分で読んでてもそういう傾向の強いものばかりを引っ張ってきている感はありますね…。
それでも、他の曲は、君についての文が少ない時は語り部が自身について饒舌に語りますし、君への熱を語る時はそれに従事していますし、バランスは取れているんですよね。
いや、素晴らしい詩-リリック-だと思います。挙げた一文については想像するに、「泣いちゃう程悲しい出来事も笑って受け止めて、生きる糧として輝きを増していく君の生き方って最高だね!」ってことじゃないかな。あー良いなーってしみじみ噛みしめています。
郷太さんの詩の何が好きかというと、「めっちゃ前向きなところ」なんですけども。個人的に、落ち込んでる時に慰められてしまうと余計に落ち込んでしまうメンドクサイ人種としては、「落ち込んでんのー?まあいいじゃん!そんなことより踊ろうぜ!」って言い切っちゃうところに何度救われたか分かりません。(だからブレイクダウンが大好きなんだと思います)
今回の歌詞も、その例に漏れず前向きなものとなっているんですけど、言葉の向かい先である「君」の存在が曖昧なので、こう…、気持ちが通り過ぎていってしまっている気がしないでもない。
繰り返しの主張になってしまい申しが訳ないのですが、「君」のリアルタイム(この場合は5:06)での行動が全く見えてこない感じ。
以上が違和感その2でした。
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物語の登場人物としては輪郭が薄い気がします。フォーカスが別の所に当たっている感じ。
それが良いとか悪いとか、批判や批評をしているつもりは毛頭なくて、自分の知りうるノーナとしては(ここ大事)やや異質で。
語り部として、主人公として個を押し殺す「ぼく」。
優しく見守られる、「儚い」と言うにはあまりに儚過ぎる「君」。
スウィートネスの天秤が傾くことはないでしょう。常に中立で、もしかすると、何も皿に乗せられていない状態かもしれない。
では、この曲で語られている愛とは、「ぼく」とは、「君」とは、いったい何を表しているのでしょうか。
■スウィートネスは“音楽”のために
ない頭をどうにかこねくり回して妄想した結果、私が辿り着いたのは、
「ぼく」とは、「郷太さんの世界観そのもの」ではないか?
「君」とは、「これまでに生み出してきた楽曲」ではないか?
“スウィートネス”は、「これから生み出されていく楽曲」のために歌われたのではないか?
、というものでした。
都度囁かれる「SWEETNESS」は、まだ見ぬ麗しの誰かへ、
感嘆符を付けてまで書き置かれる「リフレクション!」は、これまでの彼女たちへの最大限の感謝で、
少しばかりの強引さを匂わせる「SHE IS NOT ALONE!」は、何時までも傍に携えていくよという郷太さんのNONA曲に対する深い愛情を示し、
最後の最後、私たちに世界を訳してくれた「SHE AND ME,NOT ALONE!」は、胸が苦しくなる程の音楽への慈悲を感じます。
私が感じてしまっていた「階層の違い」も、この曲が郷太さん自身を築き上げてきたものへの独白で、彼女の存在が薄めに感じてしまっていたのも、いずれ出会うであろう彼女、ひいては「音楽」に向けたものであったのなら、そりゃぼんやりとしているはずです。
郷太さんも、我々も、まだ出会ったことのない「愛されるべき音楽」。
郷太さんが歌い、オッケンさん、小松さん、YTさん、シゲさん、真城さん、松井さんが奏でていく「愛されてゆく音楽」。
そんな素敵な未来を予感させ、予言するように歌われた“スウィートネス”は、まさに「優しさ」に満ちた曲ではないでしょうか。
唐突に自分語り。
実は、ここまで書き進めるのに1か月弱掛かっておりまして。
他の事に夢中になってしまっていたってのもあるし、書きたくなかったっていうのも理由としてあったりなかったりあったり。聴きまくりすぎて聴きたくなくなった時期もあります。大袈裟かもしれませんが、それほどまでに、この曲について考え、悩み、ああやっぱ好きだなーって思いながら生活してきたのです。
そして、やっとこさ自分だけが納得のいっている上記の頓珍漢な着地点に到達した段階で、本当は書き終えるべきなんですよね。それ以降はハッキリ言って蛇足でしかありません。もう正直書く事がありません。「これ絶対伝わんないだろうし叩かれるだろうな」という確信めいたものだってあります。ここまで読んでくださった方の琴線に触れなかった時点で、書き手としては死んでいるし、私はファンである資格がないでしょう。今の私の心情としては、「あーあ、書いちゃったー」って感じです。
自分語り終わり。
生まれてきたのは君のため
(引用元→NONA REEVES“スウィートネス”)
君が世界を変えた
(引用元→NONA REEVES“スウィートネス”)
曲中に出てくる「君」を「音楽」に変えるとすっごいしっくりくるのは私だけですか?結構、この変換だけでストーーーーーンと何もかもが飲み込めるようになったというか。上手く言語化できないのですが、「あーはいはい、なるほどね」みたいな。
違和感その1で「詩的というより神話的」といったのも、何かそういう、頭じゃ理解出来ていないけど感覚的には理解出来ているって感じ。
分かんないですよね。私も何言ってるかちょっと分かんなくなってきました。
とりあえず言える事は、NONA REEVESは最高だし、“スウィートネス”は彼らの楽曲の中でもマジで本気で良い曲なんだ!!!!!!!って事です。それだけでも伝えられてたらいいなあ。
ちょっと今回はここで終わります。またいつか再挑戦してみます。
頭が痛いです。困った。
最後に。
youtubeの公式リンク貼ろうと探していた時に、すっごいビビっときた良いコメントを見つけたので、勝手ながらそちらを改変させてもらったものを書いておしまいです。
ここまで読んでいただき有難うございました。
NONA REEVES is classic!
(追記 3/19)
少し加筆・修正しました。