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初めましての歴史

まずはカンファクがなぜ誕生したのか、
その神秘について追求していきましょう。

カンファクが生まれたのは2017年1月
2016年の年末に、ある楽曲提供のオーディションに応募したサダテン
そこで仮採用という形でメジャーレーベルの楽曲提供コンペに参加できるようになったのが始まりとされています。
メールにてコンペの内容が週3件ほど飛んでくる中、比較的女性アーティストの案件が多かった為、初代メンバーであるみほらっちょに仮歌をお願いしたと語り継がれています。

もう1人、女性ボーカリストがいたようですが、音信不通となり、自然に脱退となったわけです。
楽曲提供の案件が増える中、1つの案件の提出期限は1週間〜10日。
アレンジも必ず込みとされている現代の作曲家。なかなか数をこなすのが難しいと考え、身近な人で作詞作曲出来る人はいないか、、、
そこでけーくん(鼻歌おじさん)を引き込む流れとなったわけです。

そして2年近くの間、楽曲提供コンペを主体として活動していたサダテン。約30曲(リメイク込み)を提出するも採用には至らず、彼の頭の中で変化が起きました。

"コンペ難しくね?"

有名レコード会社からの案件1つに対して、集まる曲数は200〜300という話を耳にしたそうです。
まして、提出期限は10日以内のものがほとんどで、自分の個性も出せないような真面目な内容の歌ばかり。
これにずっと引っ張られていては、自分の個性も出せない。
そう思って、逆に自由に自分の個性をぶちまけた歌を作ってストックしておき、合う案件が飛んできたときに提出しようと考えたサダテン。

しかし、そのぶっ飛んだ内容の歌と、案件内容が一致するはずもなく、提出する回数も減っていったそうです。

コンペが頭の中にある限り、仕事の合間のわずかな時間も、コンペに繋げれるような歌の制作に奪われてしまう。

そして、楽曲提供コンペを休止するという決断に至ったとされています。

その2年間の間に、仮歌ボーカリストとしてメンバーに引き込まれたのがじゃむとtictacの2人。

コンペ休止後、そのままの流れで
Kanzaki Factoryという音楽制作グループとなり、無料配信を主としてメンバーそれぞれのやりたい音楽を応援し合うというコンセプトで始まったとされています。

後に、ピアニストのトナリノマキ
イラストレーターのうにうにこが加入していき、今回クリエイター兼一般制作企画部長として、マインドトラデ、ん?トラディション?
未だに読み方が分かっていない
通称マインドが加入し、一気に活動が加速。

それが今も活動を続けている
Kanzaki Factoryの歴史というわけです。

次回はKanzaki Factoryの名前の由来などについて考えていきましょう。


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