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サダテンの音楽歴

カンファク代表 サダテンです。
今夜は私がどんな音楽活動をしてきたかを語らせて頂きます。
19年目に突入しましたので、かなり省略しますが、それでもちょっと長いです🤦‍♂️

10代 本当は芸人になりたかった

中学生の頃の夢は"芸人になる"事。
そのせいか、高校2年の文化祭でコントをする事になったんです。↓

結果、スベり倒す。

原因は内容にも問題がありましたが、なによりも放送部にネタを見られるなんて恥ずかし過ぎるという理由でリハーサルをしていなかった為、ステージ下に立てられたマイクが声を拾わずネタ中に
"聞こえへーーん!"と言われる始末。
コントが終わり、恥ずかしさのあまり社会科準備室に逃げ込んだのを、今でも鮮明に覚えています。

路上ブームに身を任せる

時間を数日戻します。
放課後に文化祭の練習を廊下でしていると、何やら歌が聴こえてきました。
同じクラスの男子2人が弾き語りで出演する為に練習していたんです。

コントの練習を切り上げて私はタンバリンと歌で参加、ゆずの夏色をこれでもかというくらい歌いまくりました。
それがものすごく楽しくて、丁度その頃ゆずの影響で路上ブームが巻き起こっており、駅に行けば小さな駅でも2.3組が路上ライブをしているのが当たり前、周りにもアコースティックギターを練習する友達が多かったんです。

文化祭で果てしなくスベった私は、簡単に芸人になる夢を諦めてしまいます。

それと同時に始めたのがギターでした。
周りの友達より飲み込みが早く、ギターを始めて1ヶ月も経たないうちに作詞作曲とハーモニカ、さらには路上ライブをするようになりました。

翌年、高校三年生の文化祭ではリベンジとばかりに弾き語りで出演します。↓

風邪をひいてしまいボロボロでしたが、コントでスベり倒すよりはだいぶマシでしたね😅

高校卒業後、大阪スクールオブミュージック専門学校 シンガーソングライターコースに進学します。
同級生にはトイレの神様でお馴染みの植村花菜がいました。その頃に私は"お米の神様"という歌を作っていました。
もちろん作ったのは僕が先です。
その頃にはトイレの神様のおばあちゃんもご健在のはずですからね💁‍♂️

そんな事はさておき、
この時すでにオリジナル曲が50曲近くあり、朝起きれなくて遅刻により足りなかった単位をオリジナル曲提出で補ったぐらいです。

20代 運転中に作詞作曲

専門学校卒業後、メッキ工場に就職したんですが、仕事を選ぶ時も、路上ライブが出来るかどうかを真っ先に気にして選んでいました。

その後に転職したクリーニング屋の配送で、運転中に作詞作曲をするようになりました。
運転しながら歌って作曲し、頭の中で歌詞を考えて、家に帰ってからコードを探すという無駄のない曲作りが日課となりました。
曲を作らなきゃいけないみたいな、勝手な使命感に洗脳されたのもこの頃です。
夏休みの宿題やらなきゃと思いながら遊びに行くような感覚です🏃‍♂️🏃‍♂️🏃‍♂️

その頃に、居酒屋などで歌わせてもらったり、得意先の施設や保育園などで歌う事もありました(´∀`)

約12年間路上ライブをし(2人組で相方は4人変わります)、そしてある事に気が付きます。

"俺、歌下手じゃね?"

シンガーソングライターは
ボーカル、演奏、作詞、作曲の4つを1人でやるわけですが、その主となるボーカルと演奏が、どうも足を引っ張っていると気付いたんです。
気付くのに12年かかったんかよwって話ですよね😂

作ったオリジナルは100曲近くありましたが、
路上ライブを辞め、会社で組んだバンドも2年で解散となり、そろそろ音楽自体も辞めどきかなと思っていました。

30代 新たな道を見つける

音楽を披露する場所もなければ歌で夢を追う事も出来ない、でもなんか音楽やっとかないと勿体無い気がする。。そう思って携帯で検索したカラオケアプリ。
その時にたまたま探し当てた音楽コラボアプリnanaに出会うわけです。

初めはなんとなくやってましたが、やってるうちに音楽仲間が増えていき、アップされている伴奏を使ってオリジナル曲を作るようになります。

そして、歌を作り続けた経験と感覚が思わぬところで発揮される事になります。それが

DTM すなわち打ち込み音楽

nanaの中でも、DTMで伴奏を作っている人が一際目立っており、自分を表現するものはもうこれしかないと思い始めます。
DTMを使って伴奏を作っている有名な方にTwitterのDMで連絡をとり、DTMに必要な機材と予算等を教えてもらいました。

そして12万かけて買い揃えたのがこの最低限の初期設備です↓

まぁ、DTM出来なくもないですが、作業効率としてはかなり悪いですね🤦‍♂️🤦‍♂️

今となってはさらに20万かけて全機材を一新して、こうなってます↓
次に買い換えるのは、音楽で稼げたらと決めています💆🏻‍♂️💆🏻‍♂️💆🏻‍♀️

今だから言える事、それは
いくら最初の機材といっても、本気でやってくって決めたのなら安いもので揃えるのはやめたほうがいいなって事でした。
結局買い換えるとその分お金もかかりますからね🤦‍♂️

DTMでのアレンジに必要なのは、根気と少しの音感だと思っています。
作曲を何十年も続けた感覚が、打ち込み音楽にも生かされる結果になりました。

ギターに合わせてメロディラインを作るように、いろんな音色を伴奏に合わせて足していく作業。元々、良いものが出来るなら時間を惜しまず制作に打ち込める性格だったのも自分に合っている部分だと思います。

制作力が急成長した理由は意識

DTMを始めて1年後に、メジャーレーベルの楽曲提供コンペに参加しました。
オーディションに合格するも、社長さんから
"面白い曲を作られるので、色んな案件に対応出来そうです。ただ、アレンジ面にまだ素人っぽさが残っていますので、精度を上げつつ提出して下さい"と言われました。

有名レコード会社などの依頼によるコンペなわけですから、自分の楽曲がプロに聴かれるという事を頭に置くだけでも、かなり試行錯誤して手を抜かずに取り組めました。

今だから言えますが、中には嵐やSuperflyなど、採用されたら絶対売れるような大物アーティストの案件もたくさんありました。
もちろん提出しましたが、もちろん採用されず、結局1曲も採用されずに終わりました。

案件の時期などで大体わかるものもあって、
"これ、あの時のコンペで選ばれた曲やな"ってなるんですよ。
そしてその曲を聴いて思うわけです。

そりゃこの曲選ばれるわ

文句無しに良い曲なんですよね😅

コンペに参加した約2年間。採用されなくても、これは決して無駄ではありませんでした。
プロに提出するという意識だけで、アレンジ、MIX、マスタリング技術が急成長する結果につながりました。
所々で、本当のプロの方に助言を頂いたりはしましたが、ほぼほぼ自己流で向上した技術です。

各専門のエンジニアさんからすれば
機材も揃っていないし、技術自体もまだまだなのかもしれません。
それでも、今出来る最大限の根気と努力で制作を続け、これからも成長を続けます。

最後ちょっと内容が濃くなりましたが、サダテンの音楽歴の話は以上になります🙏

自分が音楽をやめる、もしくは死ぬまで
kanzaki factoryは存在し続けます( •̀∀•́ )✧
今後とも、応援の程よろしくお願い致します!

最後まで読んで頂き、ありがとうございました‎╭( ・ㅂ・)و



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