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イジメについて

僕は中学のときイジメられていませんでした。

田舎の中学なので普通にイジメはありました。

ドラマで見るようなわかりやすい肉体イジメというより、言葉によるイジメですね。

キモイとかキショイとか、それ系の。

野球部に多かったです。

偉そうに。

おとんが野球好きの影響で僕も野球好きだという気がして小3の春に野球クラブに入って監督がヤクザくらいもの静か系の怖さ(良い監督すぎる故の怖さ)でだんだんキツくなっていき小3の冬休みに熱で1週間休んだ流れでそのまま辞めました。

思えば「フナちゃんなんで辞めたん?」って一人にも聞かれた覚えがないです。不思議ですね。

野球の話になってしまいましたがとにかく中学の野球部の偉そうたるや、というか野球部にしかいじめっ子、不良ぶってる奴はいなかったという印象です。

僕はバスケ部に入って中2の春に塾で今日休むことを3年のキャプテンに言いに行こうと3年の階に行ったら「3年の階に来んな!」ってデブの不良にケツを蹴られて泣きそうになりながらそのまま帰って次の日に2年からの新しい顧問のカックン(角刈りなので)に「お前はバスケ部じゃないやんな?」と急に廊下で言われて「え、バスケ部ですけど」って言ったら「勝手に休んだやろ昨日」と言われて「いや塾で休むってキャプテンに言いに行こうと思って3年の階に行ったら知らない3年の人に3年の階に来んなってケツを蹴られたんで帰りました」と言ったら「3年の階に行くお前が悪い」と言われてめちゃめちゃムカついて泣きそうになって退部届けに『納得できないのでやめます』とだけ書いて勇気がないので担任の女の先生に「渡しといてください」と言って無事やめることできました。

バスケの話になってまいましたがこういうわけで中2からは部活無しになり、カックンへの怒りと野球部への怒りに満ち満ちた中学生活を送っていました。

その中で僕はイジメられてもよさそうな部類、無口で、部活にも入っていない、だったのですが標的にならずに済んだのはひとえに小学校時代の貯金があったからだと思います。

前提として小中一貫だったので、メンバーがマジで同じでした。

貯金というのは、小3、4、5あたりの僕のクラス人気がえげつなかったということです。

小3のときは自由帳(ありましたね!)に通い詰めていた姫路リバーシティ(巨大デパート)のメダルゲームを再現し、たとえば『どぼちゃん』(魚が釣り人の垂らした餌に食らいついてボタンを連打して引っ張って釣り人を海に落とすゲーム)では僕の指がどぼちゃんになって、僕の自由帳を数人が囲んでプレイヤーがボタン(僕の机)を連打するというゲームをしていました。

釣り人を海に落とすかどうかは完全に僕のさじ加減なのですが、休み時間になると大賑わいでした。

ある日、自由帳を没収されました。

机を連打するのが教育衛生上よくないという判断をされたからです。

ただ僕は非常に誇らしかった。

交通規制がかかったロックスターのような気分。

というか僕は交通規制がかかったロックスターでした。

大人気。

人を楽しませる天才。

小4になるとオンバトのサービスパンダの『バーナードウォンツェイじいさん』のネタの紙芝居を模写してさらにオリジナルのフリップを付け足して学級会で爆笑をかっさらい、基本的に優しくて楽しい先生なのにたまに死ぬほど怖くなる問題教師の担任に終業式おわりに「あの紙芝居おもしろかった!」と廊下で優しく言われました。あと「ごめんな」とも言われました。僕は連絡ノート(ありましたよね!)に押されているその問題教師の顔のスタンプに鉛筆でバッテンをつけていたのです。お腹を出したまま布団をかぶらずに寝て毎朝体温計で熱をはかって休もうとしていました。それをオカンが見かねて学校に言ってくれたのかどうなのか問題教師は僕に「ごめんな」と言ってくれました。怖くならなければ最高の先生だったんですけど。

小5ではみなさんご存知!『完熟トマト新聞』という学級新聞を毎日教室の後ろドアに貼っていました。画用紙に書くのですが、1日に3枚書いたこともあります。発足時は5人くらいのグループでやっていたのですが気が付いたら僕1人で1日3枚書いていました。内容は、オンバトのあばれヌンチャクや鉄拳の完コピや、オリジナルのキャラや今も続いている完熟トマトくんたちが飛び交う4コマです。

ある日、違うクラスの長岡という筋肉質の男に、「なんで鉄拳なん?」と聞かれたときは

終わった

と思いました。

僕の築き上げてきた信用が崩れ落ちていく音。

オンバトを見ている奴なんて僕だけだと思ってた。

(長岡は人に干渉しない男だったので大丈夫でした🙆‍♂️)

小6、小6の代表作はなんだったか?
完熟トマト新聞もさすがに学年またいでまで書いてなかったと思うので、でもなんかしらの人気はあったと思います。人気があったという自覚だけがただここにあります。「前髪で目が隠れている」というオプションまであったのでませた女からちょっとモテたりもしていました。

そして中1、バスケ部だった中1、僕は授業中にツッコんでは笑いをとりツッコんでは笑いをとっていました。ボケツッコミで教室を沸かしていました。何を言っていたのかは全く覚えていませんが、明石家でした僕は。

ある日テストの採点に対してボケ半分で抗議をしたところ教育実習の若いキレイな先生に腕を掴まれて教室を引っ張り出されそのまま階段の踊り場まで引っ張られて僕があまりの恐怖とさっきまであんな楽しかったのにとのギャップで涙をボロボロ流したのを見た教育実習の若いキレイな先生は怒るつもりだったのに慌て出してめちゃめちゃ謝って悟すように叱ってくれました。それくらいアグレッシブルに攻めの笑いをしていました。

中2以降は図書館で『遺書』を読んでしまったので完全に静かになりました。

静かなる笑いこそモノホン。


僕が中学でイジメられなかったのはなぜか?という話でしたね。

小学校時代の輝かしい僕の活躍を見ていた奴が野球部に入って不良になったからです。

友達だったけど、もう話さない。

あんなに笑い合ったのに野球部なんかに入って眉毛薄くして腰パンなんかしちゃったから。

住む世界がちょっと違うようになった。

でも小学校のとき僕がボケたらツッコんでくれた友人たちは、不良の格好こそしても、弱いものイジメはしなかった。

弱いものイジメではなく、先生に野次を飛ばすその言葉の端々にキラリと光るセンスがあり、おもしろかった。

やはり僕が一緒にいて楽しかった奴らは大人から見れば同じ不良でも色が違った。

でも中には、「色の薄い不良」に成り下がってしまった奴もいて、下校中に僕のランドセルを傘の先で刺してきたときには本当に悲しかった。

あんなに一緒に遊んで楽しかったのに、ランドセルを傘で刺してしまったな、さようなら。



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