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公開ラブレターを拝読させていただいてしまった「僕は小説がかけない。」感想

作者のあきかんさんからこの「僕は小説が書けない。」について「できるだけ早く感想を書いてほしい」と言われたときから、なんでだろうというのは気になっていました。

色々な理由で公開時期などの指定をされる方はいらっしゃるので、それに対しては特に何も思うところはないのですが、こちらの作品内容が内容だったので……。素直に「どうして?」という気持ちが湧いたのです。

僕は小説が書けない。」は文字通りあきかんさんからある作者さんに向けてのラブレターなんですが、そこに至るまでの経緯も読んでいて興味深いなと思いました。小説を読むのが苦痛で仕方がないというタイプの人間が、わざわざ多くの小説を書いたり読んだり感想を送ったりするというのは、ご本人も書いている通り本当にただの苦行だと思います。

その手のコメントを読んだのは、これまでわたなべめぐみさんの「よわむしおばけ」の解説でくらいです。わたなべさんも確か、文章を書くのが好きではなくて辛いとおっしゃっていた、というようなことが書かれていたように思います。(現物が手元にないのでうろ覚えで恐縮です)

そのくらい、創作をする人々の中においては「書くのが嫌い、読むのが嫌い」は珍しいので……。
いや、あまり読まない人はたくさんいるなとは今、思い出したんですが……。読まないけど書く人は確かにいるんですよね。私とは別の生き方をする人だなと思うし、多分わかりあえないとは思うけど。

でもそこまで苦痛とか嫌いとか言ってる人が「刺さる」と思う小説は素直にすごいなあと思う。めちゃくちゃ刺さるものに出会うことって、これが意外に少ないんですよね。
私は乱読傾向にあるので何でも読むし何でも見るし、何でも楽しめてしまうタイプの人間ではありますけど、それでも「刺さった」なという作品は意外と多くないです。面白かった、はたくさんあっても。

だからそれに出会った上で公開でラブレターまで書こうって言う発想は本当にすごいし、それをできるだけ大勢に見てもらいたいって言うのもすごいなと思います。

でも傑作が書けないっていう悩みについては……、ストイックな人のそういう悩みは、他人がどうこう言ってもどうにもならないだろうし難しいですね……。

だいたい、自分を満足させる傑作が書けた! なんて、普通はなかなか思わないわけじゃないですか?
これはちょっと他より反響があったなとか、そういう評価じゃなく、絶対的な評価としての自分の中での「傑作」って、もう手が届かないも同然じゃないかと思うんですよ。
もちろん中には「やりきった、これがベストだ、これが生涯最高の傑作だ!」って自分で思える人もいるんだろうけど、自分の望む最高っていうのは届いた時点でもっと上があることに気が付いてしまうものだと思うので、要は終わりがない道とも言える。

きっとラブレターが届いても本人的にはあんまり楽にはならないんだろうな……とは思いますが、あきかんさんの「もっと人に読んでほしい」という望みは尊重されるべきだと思うし、人に読まれることに即物的な効果を求めている人ばかりではないと思うので、この記事を書かせていただきました。
これで少しでもご本人が納得や満足を得られたらいいな、と思っています。






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