「先生」だった父がバイトをし始めていた話

親父は変わり者で、割と高給取りな専門職、人から先生と呼ばれる仕事をしていた。なのに一向にお金はたまらず、オンボロになった車の修理に何十万円を掛けたりと子供目にも無駄な出費が多く、小さい頃から僕ら家族を苦しめた。


やや右傾している気質の親父は、その後転職し、割と世間的な身分も高い職についた。その時も以前とは意味合いは違うが先生と呼ばれる仕事だった。


だが程なくその職から離れざるを得なくなった。人気が必要な仕事だが、変わった言動が多く、その肝心の人気がなかった。


その後どんな仕事をしていたか、あまり詳しくは知らなかった。でも相変わらず金遣いは粗かったようだ。


借金が沢山あることを知って親父に飲みの場所で怒鳴り散らしてしまったことがある。ぼくは大学院まで奨学金を借りてきたが、その大半を使い込まれてしまっていた。口座には1000円くらいしか残っていなかった。お前、ふざけるな、バイトでもして金を稼げと大声で怒った。親父は、お父さんにお前とは何事だ!と返してきた。


そこからはもう親父と連絡を取ることを辞めた。


久しぶりに母親と連絡を取る機会があり、ある事実を聞いて驚いた。親父は現在倉庫作業のアルバイトをしていた。他に就ける仕事が無くなってしまった。アルバイトをせざるを得なくなっていた。


今まで先生と呼ばれてもてはやされてきた。しかしそれらの職を一気に失い、元には戻れず、それでも企業の顧問など見栄えのする仕事を転々としていたようだったが、ついにその仕事も無くなってしまったということだろう。


一方的に憎んでいた親父だ。会ったわけでも、写真を見たわけでもないが、倉庫作業は過酷だ。かなり腹も出ていたが、きっと小さくなったであろう父親の背中を頭に思い浮かべた。


かつてバイトでもして金を稼げと言った自分が偉そうにも、何故だか虚しい気持ちになった。



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