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大人になったことの実感の原因とその裏付け

あるあるを言って終わるだけになりそうでちょっと嫌だけど、まとめておくことできっといいことがある、気がする。

・高校生の群れが怖い

 何が恐ろしいんだろうか。青春への負い目がそうさせるのか。思えば高校生の頃は筋金入りの嫌な陰キャ野郎で、友達もいたことにはいたが大学進学とともにほとんどと関わりを持たなくなった。高校生から始まって関わりがある人間って本当に2人だけかもしれない。普通はそういうものなのだろうか。彼女もいたけど、本当に「いるだけ」だった。何もしなかった。ただデートとかLINE通話とかを何となくしてみて、カップルのプラトニックな部分だけを掠め取って終わった。二の腕を触った日の夜に、二の腕の肉と乳房との感触がほぼ等しいことを伝えられて、謝り倒したことを今でも覚えている。傍から見れば可愛いものかもしれないが、オレはこのことについては本当に気持ちが悪いなと思う。傍から見ても気持ち悪いようなら後でオレにそう伝えて下さい。なんで謝ったんだろう本当に。

 部活動は演劇部に所属しており、こちらは普通に楽しんで2年半ほどの活動が出来ていたと言えよう。しかし、部活動を通じて関わる全ての人間に対して明瞭な理由のない小さなわだかまりを感じていた。きっとこれは「熱意に対する冷笑」であろうと考えている。あまりにも嫌な陰キャである。この小さなほころびから、参加自由であった3年次の文化祭への部活動としての参加を辞退した。自分以外の3年生は全員参加しており、それによる後悔の念でもって、自分の3年間の部活動は終了したわけである。

 とにかく、高校3年間はそこそこ鬱屈としていた。学業にも全く精が出ず、クラスでは赤点a.k.a.遠藤浩平で通しており、その時期の親のことを考えてみると、泣いていたことだけしか思い浮かばない。成績不振の陰キャオタクというと本当に救いようがない。
 そういう思春期の大失敗を、輝かしい高校生の群れを見ると思い出し、こころの安定が崩れることにより体調が悪くなるからこそ高校生の群れを苦手としており、それが漠然としたあるあるとして都合良く世に広まっていることで、その体調の悪化を大人へと変化した証と都合良く捉えていたのであろう。


 明文化して見た事で更に体調が悪くなったが、続けていこうと思う。随時項目を追加する予定。


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