西田シャトナー日記 関西演劇祭 3回目上演劇感想(※最終上演なのでネタバレ少しありです)
つぼみ大革命『DIVERSION』
ゲネから数えて4回目の観劇。
今回の終盤、私の心の目に、ナメカタ氏がまだ壊れていなかった頃、一生懸命純粋につぼみ大革命に声援を送っている頃の、幸福な光景が見えたのです。なんと幸福で切ない光景。観劇後、今日はそんな光景が見えましたよと、ナメカタ役の行澤さんに言ったら、「ホントですか、実は今日は、その光景を思いながら演じたんです!」という答えが帰ってきたのです。いやー伝わってくるもんなんですね。
つぼみ大革命の皆がどれほどつぼみ大革命を大切にしているか、どれほどファンを大切にしているか、どれほど切実に未来を願っているか。それを切実に感じる回でした。
その思いの全てを感じてから見る最後のライブパフォーマンス。これまでつぼみ大革命を知らなかった私にもこの上ない体験でした。
良い芝居を見ました。
劇団さいおうば『変人、苦心、献身。』
これほどソリッドに哲学的に作り込まれた作品でありながら、十分にやわらかく演じられ、見ていてずっと愉快という、その不思議な楽しさが、ゲネから4回目の上演でますます増えました。
演者も演出も楽しんでいるのがとても伝わってきます。
私は最初の上演の頃には、「フランツ・カフカの真実に迫る深刻な作品」という目線を持ちすぎていましたが、それは物語開始のソリッドな見た目のうっかりした先入観でした。
私はいまやすっかり、プロート氏とローヴォルト氏とカフカの妹オティリーの、長年にわたる温かい友情の物語を大好きになっているのです。
孤高の天才カフカのまわりで誕生したその友情は、カフカの死後も続き、戦争という厳しい現実の中で離れ離れになっても温かく消えることはなかった。その温かさと愉快さを、彼らが夢見た未来である今、理解し芝居にする若者がいる。その事自体が素晴らしい希望だと思いました。
WAO!エンターテイメント『70歳、天野裕二』
これほど幸福な家族の光景は、なかなか観られるものではないですよね。
隅々まで幸福で、心配なことのない、仲の良い、互いに応援し合う家族の賑やかな姿。
私を含め観客の中には、自分の家族はこんなに隅々まで幸福ではなかったという人もいるでしょう。関係が良好でなかったり、孤独だったり、経済的に厳しかったり、ただごとではなく厳しい事情の家庭を経験してきた人もいるでしょう。そんな人たちや私にも、幸福な家族の賑やかさを味あわせてくれて、観終わった頃にはなんだか自分の記憶のような気もしてきてしまう。
そういう、優しいプレゼントのような芝居だなと思うのです。天野家の人々のエールが、そんな私達にも「フレー、フレー」と聞こえてくるのです。
演劇は、ただ作品である時もありますが、こんなふうに、現実にエールである時もある。贈り物である時もある。
それを思い出させてくれる作品でした。
エンニュイ『平面的な世界、断片的な部屋』
5人の不機嫌で孤独そうな登場人物の、それぞれの事情や過去が、唐突なタイミングと不整列な順番で、断片的に描かれる。それは、私達の日常でも不意に心の中に記憶が浮上する唐突さに似ています。物語的な順番ではなく、いつも唐突で出鱈目で何度も何度も蘇る。その唐突さが、この作品のリアリティをより強めているのでしょうね。
演者たちは、誰かの過去が蘇る瞬間、一糸乱れずにその記憶を演じる。気だるく緩やかな気配の中、突如出現するそのタイミングさ。そしてまた一糸乱れず気だるい光景に戻る鮮やかさ。この精密さには本当に驚かされます。いったいどれほど稽古をすればこの作品を演じられるのでしょう。
終幕前、皆が一斉に、自分の気持ちのモノローグを語る時、路上ミュージシャンは歌を歌っている。彼にとってはそれが「モノローグ」なのです。鳥人間のトリカイさんが「ブーンブーン」と飛び回る、きっとそれも「モノローグ」なのです。ひろきくんが光る棒を一心不乱に振るのも、文学おんなが光る水晶を眺める(「星」のようなものだと伺いました)のも、全て「モノローグ」なのだ、と私は思いました。