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ソフトクリームとアメリカンフットボール

7月3日はソフトクリームの日。

1951年の7月3日、東京・明治神宮外苑で開かれた米軍主催のカーニバルの模擬店で日本で初めソフトクリームが販売されました。この出来事を記念して7月3日を「ソフトクリームの日」と制定したそうです。

日本アメリカンフットボールの殿堂がある山梨県清里。ここの観光名物は清泉寮のソフトクリームです。

日本アメリカンフットボールの父、ポール・ラッシュ博士が開拓した清泉寮ジャージー牧場は1951年より、ジャージー種の放牧飼育を主体とする循環型の酪農に取り組んでいる生産牧場です。牧草地は72haを有し、牛の糞から堆肥を作り有機栽培を行っています。牛舎ではつながれること無く自由に過ごせるようになっていて牛たちは健康的に過ごしています。博士は当時からサスティナブルな生産環境、食の安全を見据えていたといえるでしょう。
ジャージー牛の飼育は日本では数は少ないのですがホルスタイン種よりも乳成分が豊富で「濃厚」で「コクのある」味わいがあると言われていて、そこに安全、安心が加味された清泉寮のソフトクリームが全国的に著名になったのにはちゃんとした理由があったのです。

ソフトクリームに欠かせないのはコーンです。

そのコーンやソフトクリームサーバーを製造する会社、日世株式会社はエキスポフラッシュフィールドに程近い茨木市の宇野辺に本社があります。
米国やカナダの日系2世のメンバーで1947年に創業された日世株式会社。英語も話せる彼らは当初は進駐軍周りの貿易業を生業とし、その中で目をつけた商材が当時アメリカで人気のあったソフトクリームでした。

1947年といえば第1回甲子園ボウルが行われた年。また、前年には豊中高校と池田高校の対戦で高校アメフトの最初のゲームが行われています。

当時、甲子園球場は進駐軍に接収されていましたが青少年の育成の場である事を理由に使用を許諾され、高校アメフトは、やはり日本の青少年教育の為にと日系二世のピーター岡田軍曹が、伊丹ベースに程近い豊中、池田の旧制中学に赴き指導した事がきっかけとなり北摂地域を中心に関西で急速に普及して行きます。

大阪の北摂の地、伊丹ベースの進駐軍の存在。アメリカ文化の象徴とも言えるソフトクリームと学生アメフトにも意外な共通項がありました。

暑さも増すこの時節。そんな歴史に想いを馳せながら今日はソフトクリームを頬張って見ませんか?

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