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おおきなつぶやき GW


行きたかったジェラート屋さん行けた
長らく欲しかった、ドリップコーヒーがちょうどよく引っかかるかわいいコップを買った
お休み嬉しい
この3日間好きな服しか着てない
将来はピンクおばあちゃんになりたい



【3年前のブログ】実家にいたころ、父親の腸に穴開いて手術&しばらく入院となり、プチ一人暮らし状態の時ごはん日記をつけていた。その自画自賛ぶりとファザコンぶりが痛すぎた【供養】

お膳きったな (以下ずっと汚い)
天板と土台の間の溝のモザイクは、そこに埃詰まっててきったないからです
常に汁の椀がでかい
父への賛美がすごい



父親、年中無休で酔っ払っていた(いる)。パチンコ・競馬・お酒に有り金すべて使うので常にお金なく、自分が高校生になるまで借金(サラ金)のせいでクレカ作れなかった。小さい頃からお金のことで泣いたりケンカするの嫌だった。正確には向こうが酔っ払って話聞かないので自分が一方的にキレてるだけで、ケンカにすらならなかったのも嫌だった。

暴力がないならいいじゃんとか、屋根があって水が出るだけ感謝しろとか、そうっちゃそうだけど、そもそも幸せを下方修正したくはない。

そういう中で、足るを知るだとか、ごはんを与えてもらえるだけ感謝とか、その環境に適応するべく、自分の中で作り上げた「清貧」という名の宗教じみた価値観に基づき、苦しい疲れたなどと外で言わない・欲しがりません勝つまではという感覚で過ごしてきた。部活もバイトも勉強も我慢こそ美徳だと思ってた。

父親はこの前会った時も、14時時点ですでに「5本飲んだ」と言っていた。3年前腸に穴あいたの忘れたんか?しかし、そう言われても「もう歳なんだから気をつけなよ」くらいしか言わなかった。心底他に思うことがなかったのだ。親であっても他人だし、親の人生を自分が生きる必要ないと、だんだん実感を伴ってわかってきた。

どうすれば解決するのか、そもそも解決するかどうかもわからない問題は、自分だけじゃなくみんなにもある。自分のことに必死で、そんな当たり前のことに目がいかなかった。けれどよく考えたら小中高と、そういうみんなに出会ってきたし助けられてきた。最近そう思えるようになった。

小学校1年生にして、忙しい親御さんの代わりに下の兄弟の面倒を見てた子がいて、その子が毎日手紙交換して遊んでくれたり、

立派な一軒家に住んでる子がいて、下校して一人ランドセルしょったままよくお家の前で石ころ延々と蹴っ飛ばしたり、家のドアを叩いたりしていて、その子に変なあだ名つけられたりちょっかい出されてたけど勝手になんとなく通じるものがある気がしてたり、

仲良くしてくれてた子からお母さんが不倫してると相談受けたり、

ドクロのブレスレットつけてる子がいて、それが気になり話しかけたら前の学校で万引きしてたこと自慢されて、「それはダメだよ」と言ったらなぜか仲良くしてくれたり、その子がある日突然野球部くらい髪を短く刈ってきて、「お父さんにやられた」と言われたり、

お母さんがお金持ってると使っちゃうからと、家計の管理しながらバイトの鬼してたギャルの子がいて、その子が人生ではじめてカラオケ連れてってくれた友だちで、家の話お互いに共有できたり、

もうここで話した子たちの誰とも会わないけど、心の中ではいつでも会えて、そういう子たちに自分の一部分をつくってもらった。

先生に去年診察室で、「マインドフルネスってできる?」と聞かれ、その場でやってみたけど2分も持たずに「怖いです」と諦めたことがある。「ふつうの大人なら30分〜1時間できるよ」と言われて、そんなバカなと思った。「お風呂とかでぼーっとしてさ。みんなお風呂好きじゃない。みんな未来の話より、思い出話とかが好きじゃない。」先生は言ってたけど、「思い出怖いです」と返した。

今考えると、それまでは思い出の一部分だけを拡大して見ていたから怖かったんだと思う。

思い出といえば、小さい頃からビン・カンのゴミの日が憂鬱だった。父親の飲んだ大量の酒のゴミ抱えて収集場所いくのも嫌だったし、毎度すでにストゼロの空き缶が大量に捨てられており、「なんなんだよ」とイライラした。お酒飲む人全員大っ嫌いだった。酒という存在が憎かった。

一方で、その収集場所がある同じ道を、父と自分と当時飼っていた犬の3人で散歩した楽しい思い出もある。お金あるときは父が散歩の途中でたい焼き買ってくれたり、コーラ買ってくれたこともある。キング(犬)は、夏は近くの川で泳ぎながら水を飲み、冬は雪の上をしゃくしゃく走り、お腹が痛いと草をむしゃむしゃ食べていた。かわいかった。川は埋め立てられてたい焼き屋さんもなくなっちゃったけど、今地元のその道を歩いたら、なんだかんだいいことしか思い出さない。

中学のとき、部活の集まりで遅くなって、帰ってきたら父親が家の前で待ってたことがあった。「遅くなるって言ったじゃん」と言ったら朝の時点で酔っ払っており聞いてなかったらしく、「花音が飛び降りたかと思ってベランダの下の駐車場も見に行っちゃったよ」と言われた。冗談か本気かよくわからなかったけど、その5年後に一人暮らししてた母親が本当に飛び降りて死んじゃった。情緒不安定な母親と結婚して、離婚して、たくさん大変なことがあったからこそ、おそらくあの時の父親は本気で心配してくれていたんだとわかった。

母親がハイター飲んで自殺未遂したのも、小学校から帰ってきたら父親が酔っ払って倒れていたのも、父親がごはんつくってるのをキングと一緒に隣で張り付いて見てたのも、部活の大会の日に姉が4時起きでお弁当作ってくれたのも、自分が料理できるようになってフレンチトーストやホットケーキを父親につくったのも、父の日に姉と一緒に天ぷらあげたのも、みんなおんなじ台所。

思い出って思い出すたび加工されていくし、いいことと悪いことが引っ張り合ってできている。どちらか一方の力が強くなることがあっても、それは一時的で、時間をかけたら統合されて、やがていっこの引き出しに収めることができる。脳は思ったより鈍感で、わりと忘れていて、わりと悲しくなくて、わりとケロッとしており、普通に色々とサボってるし、思ったよりずるい自分がいる

自分の中に他人が生きてることを実感できると、思い出話がそんなに怖くなくなった。

大人になったらみんな強くなると思ってたけど、別に大人だって、臆病で、不安で、恐れから怒ったり、依存したり、怠惰になったりする。自分だってそうで、一番身近な大人である親もそう。その単純な事実を認めてしまうと、それまでの生き方が破綻してしまう気がして、否定し続けてきてしまった。

大人になるほど、
もっと誰にも言えなくて、
どこにも書けないようなことが増えていくけど、
それなりにうまくやっていけるし、
周りも自分も、結構幸せになれる

大丈夫じゃない以外の生活を知らないから
大丈夫になるのが怖い

過去に縛られてるというより
自分が過去に行かないでって言って縛ってる

実際は大丈夫になってもそれなりに寂しくて、
寂しいのも含めて楽しい

「あんまり優しくない時のあなたも好き」って
いろんな人にいろんなタイミングで
もっと言えてたらどんなによかったのを
これから言えたらいいし
言えなくても思ってればいい
伝えなきゃ伝えなきゃと思ってたけど
伝えるよりも人の話を聴く方が難しいし楽しい

ちゃらんぽらんでも暮らせているのは、ありがたいことに周りの人に恵まれているおかげだ。恵まれてることに寄っ掛かりすぎず、勝手にやってろという感じであっても、10年後どこにも残らない毎日を、勝手に頑張る

大丈夫じゃないからこそ出会えた人たちを裏切る気がして、大丈夫じゃない状態でいなきゃとか考えてたの、普通に思い上がりで恥ずかしい。それ以前にいなくてもいい存在、ただ、いなくてもいいと死んでもいいは違う。もう死んでもいいと思わない。死による修飾は自己愛的だし飾り付けたところでどうせいつかボロが出る。

それならなるべく自然だと思う方を選んで、ボロ出っぱなしでも、いっぱいおいしいもの食べていっぱいシミとシワを作り、ある意味図太く、「いなくてもいいけど、なんかいる」という心持ちで、そこそこでやっていこうと思う。
そしてひっそりぬか漬けを育てていきたい。







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