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4月


座り込みたいときがある
駅で
道端で
スーパーで
薬局で
トイレで
ロッカーで
歩道橋で
座り込みたいときがある。

試着せず買ったズボン
サイズ合わなかった
食べなくてもいいもの
たくさん食べて
夢中で食べて
散々食べたのち
ゴミの真ん中でふと呆然
前はもっと

前はもっと?

そう、前ならもっといちいち後悔したはずだ。

駅から家までの退勤の道
お菓子や菓子パンなしじゃ歩けない毎日
みっともない 行儀悪い
こんな姿見たらどう思う?
そんな人の言葉誰が聴く?

調子のよい悪い 自分じゃわからない
問診票に「わからない」も追加してほしい
すごく悪いことしてる気分で通院
おまえだけ傷ついたぶるなと後ろ指

前に「診察が怖い」と先生に伝えたら、「診察が怖いの?丸裸にされちゃう感じがするみたいな?」と聞かれたので、「行くのも怖いし行かないのも怖い、客観的な事実を突きつけられるのが怖い」と言った。

「大体ね行くの面倒臭いとかはあるけどね、診察が怖いは重症だよ」と言われた。「安心してください、重症ですから。」と笑いながら言われた。どういう意味かよくわからなかったし笑いどころもよくわからなかった。

結論はもうとっくの昔に出てて
最終的に自分を助けるのは自分なんだよって
だから努力が必要なんだよってことだ
試しに困ってるって言ってみても
きっと「だからどうした」ってなる
そんな感じ

この前あらためて、「自分が変わらないといけないんですよね」と先生に言ったら、「そうだね。なんのために?」と聞かれた。「こういう場所にこないために。」と答えたら、「うん、自己解決能力を高めてあげるってことだね」と言われた。


当事者の方が当事者に対してかえって不寛容である。自分はそもそも許せないものが多すぎる。同族嫌悪というやつだ。どんなことも自分から許さないといけない。許すなんて、自分如きが何様なのと思うがしかし、いやなことは自分からいつも始めなきゃ
(誰も代わりにやってくれないから)


春だもん 好きな服着よう
古着のワンピース着るタイミングうかがう間に
季節はどんどん終わってく
昨夜の雨で桜はすっかり寂しい姿

春だもん 好きなところ行こう
その好きなところがわからない。

この前電車で、知らないお姉さんに新しいバッグとお姉ちゃんからもらったイヤリングを褒めてもらえた。そのまま1駅分喋った。私の方が先に降りる駅に着いた。お姉さんの帽子かわいいですねと言ったけど、それはほんとにそう思ったんだけど 、こういうかわいいですねって言葉は先に言った方だけが真実で、後で言った方はやけに白々しく響いちゃうのなんでだろ。寂しい。もう二度と会えないのになぜか「ではまた」と言ってしまった。

言えない好きが次から次へ
生まれるたび消すのも春だから?
夏には夏の 秋には秋の好きがある
夢を聴かないで
大切すぎる
誰にも教えたくない秘密くらい
みんなにもある
どうでもいい
でも話したい
そういう毎日がある
文字にしても泣けば消えて
お菓子食べれば胃液にまみれて消えて
話せばヘラヘラ風に流されて消える

生活のため働く
心も時間も費やす
尻拭いしたくないのバレバレの態度
考え方の相異にうんざりしてる

「勘違いしないで。あなたを一人にできないのは、とてもあぶなっかしくて独り立ちさせられないからで、あなたを助けるためじゃない。」

そんなこと言って人を詰めてる上司を見てる。
わからなくなってくる。

この春から立場が変わって、モヤモヤすることが増えた。組織に属して働く以上1人で仕事は回せない、ただしどうしても人と人がやってることだから色々ある。その色々の中で、本当に問題にすべき点を見誤ってはいけない。

尻拭いしたくないのバレバレ。自分が教えた人が失敗したら自分の責任って考えるの当たり前だと思ってた。自分より10歳も20歳も上の人が尻拭いを拒んでる。サボってる。弱い者いじめしてる。「なんでも自分ごとと捉えろ」と教えるわり、いざというとき助けないなどと言って、自分関係ありません顔してお金もらう。そんなん詐欺じゃないかと思う。でもそれを言えるほどの立場に今のわたしはない。し、一方でそんな感じになってしまう上司の優しいところも知っている。単純に業務量が偏ってるんじゃないか、疲れの問題か、とか思う。上司が上司にしかできない仕事に集中するために、自分みたいな立場の人がいると思うから、全体のためにうまく歯車として立ち回る必要がある。

とにかく今は数字を出す。結果を出す。そのために頑張る。先輩にも後輩にも変わらない自分でいる。実るほど頭を垂れる稲穂かな。でもその言葉は都合良くも使えてしまうのを忘れない。責任ある立場にありながら「いやいやわたしはまだまだなので」と言って責任回避もできてしまう。
謙虚とサボりを履き違えてはいけない。

「あなたを助けるためじゃない」
人が詰められてるところみるの単純に気分悪い
でも気分悪いで終わってしまわないように
自分は同じ言葉を人に言わない
誰かがやればいい、の誰かになること
それは相当勇気いるわり見返りない
でもやるんだということ


(そんなような話をおととい先生に話したら、「いや限界があるよね。何も変わらないよ。」とバッサリ切られた。「誰かが負のループは終わらせないといけないですよね?」と言ったら、「いや終わらないんだよね」とこれまたバッサリ切られた。で、なんか蜘蛛の糸のお釈迦さまの話をされた。お釈迦さまだって彼を救えないでしょと。納得いかなかった。すごいはぐらかされて丸め込まれた感じがした。たぶん「自分にならなにかできると思ってるナルシストっぽさ」を捨てよということなんだろう。でも、表現を好きな人間は自分含め大なり小なりナルシストっぽく、それが全てに悪影響を及ぼしてる場合先生が言うことも一理ある。そうでなくても限界を知らないといけないのは「確かにな」という感じである)


春だもん気分変えようとナナメ分けにした前髪
結局落ち着かず真ん中分けに戻した

心まで真ん中分けになりたいです。




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