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おおきなつぶやき ごはん


休みの日は掃除と買い出し、ご飯つくってぬか漬けして、絵かいておわる。今日はおいしいと噂の吉祥寺のケーキ屋さん行った。けっこう並んでたのとナチュラルおしゃれな人が多かった。すっぴんで帽子を深く被り、まったくおしゃれじゃない格好で行ったのちょっと恥ずかしかったが、無事姉と父に今度渡す焼き菓子買えた。行ったことないスーパーにも行った。毎回同じような休日でも、不思議なことにまったく飽きない。


まったく映えない台所


どんなに精神終わってるときもスーパー行けばなんか楽しい。

父親がスーパー巡り楽しいって言ってた気持ち
今になって超わかる。どんなに酔っ払ってても、パチンコから帰ってこなくても、夜ご飯だけはキッチンドランカーしながら、冷凍とか惣菜を使わずにつくってくれてた。その謎の気合い本当すごいって死ぬまで言う

(それで鍋もヤカンもフライパンも何度も真っ黒に焦がしてたけど)

父親が退勤して帰り道、毎度毎度鬼殺し飲んで帰ってきてた気持ち、今になって超わかる。わたしも退勤して帰り道、無心でお菓子貪りながら帰ってるもん

(これはそろそろ品がないのでやめなきゃいけない)

23にしてすでに余生の気分
家出てから台風の後みたいな感じずっと
終わったんだと思うけど
終わった後もまだまだ人生続くんだという
当たり前の虚しさに気づき始めている
満たされてるけど寂しいのはなんで
実家にいた頃も今思えば別に幸せ
屋根があって蛇口ひねれば水が出る
それで十分ありがとう
離婚してても
お金なくても
家汚くても
税金未納の期間があっても
給食の集金怖くても
酔っ払ってても
母親の実家から金の無心があっても
母親亡くなっても
修学旅行代として貯めてたバイト代使われちゃっても
初めてのバイト先でパワハラにあっても
自分は大丈夫だった
学校いけば友達がいて好きな先生がいたからだ
今は会えなくても大丈夫
2個目のバイト先はいいところで
専門卒業まで6年働いて
そこでの経験が自分の土台になってる
本当のお母さんよりお母さんみたいな人がいっぱいいて、たくさんかわいがってもらえたし、先輩もいい人ばっかりだったし、後輩の子もみんなかわいかったし、お客さんもだいすきだったし、仕事自体すごい楽しかった
今は会えなくても大丈夫

「ご飯は大事」がパパの口癖
毎日じゃなくても家族でお膳囲んで
ご飯食べられることが自分の一番の幸せ
中学生のころ、酔っ払ってる父親にキレてシチューひっくり返したことがあった。お姉ちゃんに食べ物を粗末にするなと怒られた。父親からは出てけと言われた。そのあとどうなったか覚えてないけど、次の日もご飯を作ってもらったのは確かだ。人生で一回もご飯抜きにされたことないから。ご飯ほど愛情を感じるものはない。

この前その出来事について父親に謝ったら、本人全然覚えていなかった。こんなにずっと罪悪感感じてたのに。それともわざと?
上ジャンパー下つっかけサンダルでレストラン来た時はちょっとおもろかった。ワイルドか
長生きしてください。


大丈夫じゃない以外の生き方を知らないから
大丈夫じゃない状態に留まらないとみたいな
そういう焦りが常にあったけど、
多分本当はとっくに大丈夫になってる
でも先生には情緒が育ってないと言われた
情緒的な繋がりに乏しいとも言われたことがある
情緒的な繋がりとはなんぞや。。。

こんなにちゃんと通ってる人はいないとも言ってもらえた 気休めでも嬉しい
2週にいっぺんの通院を半年
1年は続けるって決めてたけど案外早い
もう半分終わってしまった
先生と話せるしいっかとなんとか乗り切る2週間が、長かったり短かったり伸び縮みする
もっと長いスパンで暮らすのが望ましいのだろうけど、5年後10年後はやっぱり上の空
大丈夫になった先でどう生きていけばよいのか
まったくわからない

とにかくご飯は大事

ちょっと前に、「食事にお金払って排泄物買うの無駄」みたいな言い回しをネットニュースで見た
そういう人もいるのか〜と思った
そういう人は日々何に美しさを見出しているんだろう?そう思う人がいる一方で、なんで自分はこんなに食事に執着してるのか?それを考えたら今日のような気づきがあった

ほどよく元気にやっていこうと思います
おしまい


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