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おおきなつぶやき 2/25

ぬか漬けまだ続いてるよもうすぐ1年


「いびってくる人は暇なんだよ」

さようでございますね

「できないのとやらないのは違うよね」

ほんとにね

悔しくなくなったら終わりかな
あんまりずっと怒り続けられないや
怒るのってお腹減るや

元気でいてね
元気でいるよ

またねと言えるのありがたや

せっかくフロスしたあとに
ナッツ食べ過ぎ意味なし

春がきたら悲しくなくなるかもよ
大丈夫までもうちょっと

「冷蔵庫の中身食べ尽くすな〜花音はイナゴだな」と呼ばれて育ったけど、そもそも夜遅くまでパチンコに入り浸ってないでお家に帰ってきてくれたらよくなかった?

食べ尽くすいうほど何も入ってなかったじゃん

マヨネーズご飯
小麦粉(水で練って茹でて食べた)
にぼし(犬用)
8枚切りの食パンにマヨネーズ塗ったやつ
食パンにマーガリン塗って砂糖まぶしたやつ

あとーなんだっけ
もう忘れちゃった
あんなに嫌だったこと
けろっと忘れちゃうんだ
いいことしか覚えてないよ
初夏 梅干しを干すパパ
ぬか床に入れる卵の殻や椎茸を窓辺で干すパパ
晴れた日に干した布団をとりこんで
キングと一緒にお昼寝したこと
炊飯器の横でチラシの裏に絵をかいて
パパの帰りを待ったこと
電話は出ないし
留守電いくら入れても帰ってこないし
ムカつくから押し入れに隠れて
心配すればいいと1人神隠ししたこと
そのまま寝ちゃって全然気づかれなくて
心配してくれないじゃんとガッカリしたこと
「パパは花音よりお酒とパチンコの方が大事なんでしょ」と言っても酔っ払いには通じない
なんで産んだの?
なんで邪魔なら殺さないの?
ただ犯罪者になりたくないだけでしょ?
どいつもこいつも弱虫め
大人なんか大っ嫌い
嘘つきで臆病で浅はかで傲慢だ
それでもパチンコの景品ベトベトの飴も
ピンクと黄緑でキレイな色だったし
あんまり嫌じゃなかった
パチンコの景品だと知るまでは

「も〜パパ3・2・1で寝れるよぉ」

パチンコで夜遅く帰ってきて酔っ払って、外から帰ってきたくせに風呂も入らず酒臭いまま汚いせんべえ布団に入ってさ外着のままの父親がそう言うので、与えられたぐちゃぐちゃの夜ご飯を食べながら

「じゃあ3・2・1ー、寝た?」

「寝たよぉーぐーぐー」

「起きてんじゃん」

って会話した
6歳か7歳のころ
幸せだったんだと思います。

父はこの前会った時「おれは許そうと思えばあいつらだって許せるよ」と言っていた。あいつらとは亡くなった母の兄貴どものことだ

もっと前に会った時には、「おれは幸せだったよ、キングもいたしね」とも言っていた。キングとは犬のことだ

私も幸せだったよ
暴力振るわないでくれてありがとう
衣食住与えてくれてありがとう

ただね私は
ほんの少しお金が全てと思ってた
ほんの少し酒とギャンブルを憎んでた
ほんの少しまともに育てられないくせになんで産んだんだよと思ってた
離婚の理由を知った後
自分の父親は性犯罪者だと思った
性犯罪者の子どもなら
自分は生きてちゃいけないと思った
母の生前最後の恋愛は不倫だったと知った
多分そうだったんだろうなと思って母が亡くなったあとのこの7年間を過ごしてきたけど、最近になってやっぱりそうだったと知った

今も何も知らないが、
10代の頃はもっと何も知らなかった。
だから問題の本質がなんなのかわからなかった。
単純に「勉強しないと貧困になり、貧困の結果が母や父」と思ったから勉強に必死になっていた。
母のように子供のころから命を守る方が優先で、勉強なんて二の次になる環境に置かれる人がいると知らなかった。育った環境による影響は、結婚しても子供が産まれても30代になっても40代になっても続いていくなんて知らなかった。父のように育ちが良くて名門大学に入ったとしても、その後に出会う人間や時代や社会の影響によって人生はどうとでもなることがあると知らなかった。どういうときに人はギャンブルや酒に飲まれてしまうのか?サラ金にお金を借りるとどうなるか?借金の連帯保証人になるとどうなるか?そうならなかった未来では、お家も買えたかもしれないし、離婚しないで済んだかもしれない、税金だって給食費だってちゃんと払えて、習い事も塾も大学も、当然にあるものと思って育ったかもしれない、何も疑わず何かをねだることができたかもしれない、母は離婚後東京のコンビニで兄貴と喧嘩してガラス窓を割られ服を剥ぎ取られ、挙句の果てに警察が来た際に万歳三唱することもなかったかもしれない、「私は国のために万歳三唱したんだよ」などと妙なことを言わないで済んだかもしれない、祖母は万引きせずに済んだかもしれない、みんなそれなりに今より幸せになったかもしれない。

問題の本質が本人の努力不足とか個人レベルの話じゃなく、もっと社会的なものであると知らなかった。貧困、DV、ネグレクト、性的虐待、家族病理という社会問題についてなにも知らなかった。それらは自己責任論で片付く話か?そうじゃないのにそうなっているから起きる問題がある。

でも幼いときの自分はそれらに対して無力であったということ。

無力だったくせに少なくとも衣食住は保証され、塾に行けなくとも勉強できる環境にあったというのは恵まれていたということ。

無力であったということも恵まれていたということも受け入れるには大きな心理的抵抗がある。

そして幼いときと今は違うので、いつまでも幼いときの無力感を引きずってはいられないということだ。

私は足るを知るということが遅かった。

私も幸せだったよと言いたかった。

それを言うと泣いちゃいそうで言えなかった。


許そうと思えば誰だって許せる
私もそう言って歳をとって死んでいきたい。

ほんとはもう十分です。

とっくに誰に怒ったらいいかわからなくなっている。何がこんなに悔しいかわからなくなっている。わからないまま忘れたり、忘れないまま許すことはできるはず、それは才能じゃなくスキルであり、磨けば多少の差こそあれ誰もが身につけられるものなはずだからだ

何を始めるにも遅いことはない。
気づいた瞬間がきっと人生の中で一番早い。
なにも悲しむことはない。

なのになんで
よそん家の夕飯の匂いで悲しくなるんだろう
なんでハブられてる気持ちになるんだろう?

次によくなりましたか?と聞かれたら
よくなりました。と答えます

もういいです
誰のことも怖くない
大丈夫です
仕事に行きます
行く仕事があるのは幸せなことです

淡々とやって
淡々と老いて
淡々と死んでいく
何も残さず終わることがほとんどな人生
何者にもならないことがほとんどな人生
最後になんて言ったのか
誰にも知られないことがほとんどな人生
お墓はなくお骨すらどこにあるのか
わからなくなってしまうのがほとんどな人生
それでもあの人は生きていた
少なくとも私が生きてる間中は
私が母のこと知っている
あの人は生きていた
そういう小さなそれぞれが重なって
ぼんやり出来上がってるのが人生

それで大丈夫です

大丈夫になる
春がきたらね
そうだよね

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