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今村豊引退について思うこと

2020年10月8日、競艇選手今村豊が引退しました。現在はボートレーサーというらしいが、個人的には今村は今では数少ない競艇選手なので競艇選手として呼ばせてもらおうと思います。

1.引退について

自分が今村選手の引退を知ったのは、仕事の出先からの帰りの事でボートレースのオフィシャルWEBを見たらボートレース界のレジェンド今村豊選手(59歳)が引退という記事があり、最初の感想はえっ…?という感情と来るべき時が来たんだなという感情が複雑に絡みあい何とも言えない感情になりました。
その後YouTubeの引退記者会見を見て最低体重が現在の51キロから2020年11月1日から52キロに変更される事に対して限界を感じていた。8月の下関のボートレースメモリアル(旧名称はMB記念)を最後にするつもりだったが、翌月の徳山の記念(ダイヤモンドカップ(旧名称は施設改善記念競走))の斡旋が入ったのでそこで最後にしようと言ってるのを見て、今も体重増やして走るのが大変だったんだなと思い寂しいが長いことメニエル病などと戦ってきたしこれからはそういうものからも開放されるんだな、お疲れ様でしたという気持ちと共にまだやれないわけじゃないしもう一度SGを勝つ所が見たかったという気持ちが絡み合いながらも本人が決断したことだし仕方ないんだなと思うことにしました。不思議と涙はなかったです。
初めてSGを勝った時(1984年の浜名湖の笹川賞(現ボートレースオールスター))の体重が45キロ、今村は162cm(公式HPより)なのでモデル体重よりも下で走り、その後50キロが最低体重になり今村は50キロで走り続け、常に最低体重を維持し続けてましたが食べることで体重を増やしていく事にも苦労を感じていた上で40代でメニエル病を発症しそれとも戦いながらここまでA1級(ボートレースのクラスの最高ランク)を維持し続けA級を78期連続は多分塗り替えられることはないでしょう。それだけ偉大な選手でした。

2.思い出

今村のレーススタイルは全速ターンが武器、22歳でSGを優勝、その後もSG優勝を重ねていき、その後もG1優勝を重ねていき98年には年間勝率8.99という凄まじい成績を残し(99年前期(98年5月~10月)は9点オーバー、確か9.44だったと記憶してる、間違ってたらごめんなさい)、スタート展示導入後は自分の分かる位置からスタートする(150mのターンマーク起こし)仕方に変更し今村が出るレースは今村が外枠の際は6枠だとオールスロー、6枠に前付けする選手がいて今村が5枠だとオールスロー、今村が4枠や5枠だと今村の外が助走距離をたくさん取るダッシュスタートになるというある意味では舟券を買う側からしたら進入予想がやりやすく、レースも綺麗で意図的に相手選手に舟を当てて抜くみたいなレースをしない、コース幅も必要以上に占有しない、常にクリーンなレースをしてくれる選手でした。
そんな今村で自分が印象的なレースを上げていくなら97年の賞金王決定戦でしょうか。
競艇ファンからしたら進入から1マークまで競艇というものが濃縮されたレースなんじゃないかなと思ってます。
メンバーは西島義則、太田和美、植木通彦(2007年に引退)、熊谷直樹、服部幸男、今村豊というメンバーでトライアルで事故が多発し決定戦に乗れたボーダーは西島の17点という過去最低のボーダーで枠番も今と違い抽選でした。
そしてレース、西島がインコース(この競技はコースが内であるほど有利でインが一番勝ちやすい)だと思われていたのですがファンファーレがなり6人が飛び出してコース争いが始まり、なんと6枠の今村がインコースを奪取!
今村はそこまで内寄り志向が強い選手ではないのですがまさかのインコースを奪取し、実況の内田和男アナウンサー(地上波はJLC(日本レジャーチャンネル(競艇専門のCS放送))と同じだった)がさて場内は騒然としております!騒然としております!そのドラマを作ったのは、メイクドラマ!今村豊、6号艇!なんとなんと回り込んでインをゲット!1号艇西島!がっくり2コース回り!!といい進入は6142/35という今では信じられない進入になります。そしてスタート3コースの熊谷が仕掛け、今村が応戦するもその上を握り今村と西島の間を5号艇服部が突き抜け服部が賞金王に輝きました。
この時はトライアルから6枠、6枠、1枠でコースが全て2コースで6枠の時も積極的にコースを取ってましたが1枠の時に5枠の西島にインを奪われてます。
是が非でも勝つという気概は当然あるわけで、勝つためにその進入を選択したのかなと思ってますがこればかりは本人にしかわからないし意趣返しとかをやるような選手だとは思わないんで引退の記者会見で誰かにあの時のことを聞いてほしかったのはありますね。
他には2009年の丸亀のモーターボート記念でアウト屋(6コース専門の選手、当時は主にチルトを最大まで跳ねて伸び型に特化した選手が多かった、当時は持ちペラで伸びを極限まで発揮できるペラを作ってそれを使って戦う)の阿波勝哉と同じ番組に組まれた際に阿波が6コースだと思ったら今村が阿波の外につけて今村が6コースになりました。後で今村は厳重注意を受けましたがこれも印象的だった人は多いのではないでしょうか?

https://www.youtube.com/watch?v=lh4_iQpfSH4

https://www.youtube.com/watch?v=BvrPoNY1pOQ

3.諦めない事の大切さ

語りたいことは山程あるんですがそれだとただの今村の思い出を語るだけになってしまうので、今村がよく言う最後まで諦めないで走るという言葉についてこの項では語りたいと思います。
この今村、実は92年にSGを制して以降2004年にSGを優勝するまで11年半SG優勝がありませんでした。その間幾度となくSG優勝戦を戦いあと一歩で敗れるというシーンも多くありました。
そんな今村が勝ったのが2004年福岡の総理大臣杯(現ボートレースクラシック)なんですけども、圧倒的な強さで優勝したわけではありません。
もう既に当時のレース結果と勝利者インタビューが見れる所がないので記憶を掘り起こしながら書いていきますが予選からどうもモーターが良くなくて整備を繰り返し予選は7位通過、準優勝戦では1号艇が全て敗れる波乱(10Rでは高橋勲が2着、11Rでは濱野谷憲吾がフライング、12Rでは池田浩二がフライング)の結果となり優勝戦は当時枠番抽選で12Rを勝った今村が優勝戦1号艇となりました。
優勝戦メンバーは11年半ぶりのSG優勝を目指す今村豊、前年SGオーシャンカップを制した辻栄蔵、SG初優出の橋本久和、横澤剛治、そして地元の選手班長今村暢孝、98年当地の全日本選手権(現ボートレースダービー)で準優勝しSG初優勝を狙う高橋勲という顔ぶれとなりました。
本来なら1号艇今村が断然人気になるんでしょうけど、今村は機力劣勢、そして外には深い進入は当たり前の今村暢孝が間違いなくコースを動いてくる。今村にとっては厳しい優勝戦となりました。
この優勝戦で今村は本体整備に着手しクランクシャフトの交換に打って出ます。そして優勝戦、地元でSG初優勝を狙う今村暢孝が回り込んで2コースまで入ってきます。今村暢孝は100mを切り、今村も100m辺りからのスタートを余儀なくされます。進入は1523/46、実況の内田和男アナウンサーがここまで来たらパワーよりもスキルとハートであります。と実況したようにもはや技術と精神力で機力を補うしかありません。
そしてスタート、ダッシュ2艇の4号艇横澤、6号艇高橋勲が飛び出していき4号艇横澤が3号艇橋本を抑えて今村の上をまくっていき横澤のSG初優出初優勝かと思われましたがまくっていく段階で際どいスタートとなってしまいました!またしても悪夢のスタートであります!悪夢のスタートの再来であります!!という内田アナウンサーの実況が轟き、その後4号艇、6号艇のフライング返還が伝えられ今村が先頭に躍り出て2マーク先に回りますがその内を鋭く差し込んできた5号艇今村暢孝が迫りますが今村が前に出て周回を重ね約11年半ぶりのSG6回目の優勝を飾りました。
今村はこの優勝者表彰で「最後まで諦めなければいいことがある、みなさんも前向きに頑張ってください」と締めくくっている。
常滑の名人戦(現マスターズチャンピオン)では表彰式の際に自分はファンの皆さんに1等を走っている所よりも後ろを走っている時に抜けなくても諦めずに前を追いかけている姿を見て欲しいとコメントしている。
どんなに苦しい時でも最後まで諦めないで戦う、その姿に自分も含めて今村豊という人間に惹かれたんだなと思いますし、我々も今村の言うように最後まで諦めず前向きに頑張っていくことが大切なんだなと思いました。


4.最後に

2010年には蒲郡でモーターボート記念を優勝し、2014年地元の下関のG1を優勝、SG優勝戦で2度の1号艇(笹川賞とグランドチャンピオン決定戦、結果2着、3着でいずれも菊地孝平に苦杯を喫した)となり賞金王決定戦18名入り(2014年から賞金王決定戦のルールが変更、トライアルがファーストステージとセカンドステージに分かれ、ファーストステージが獲得賞金7位~18位の選手による戦い、セカンドステージは1~6位、ファーストステージの得点上位6名による戦いでセカンドステージは従来の賞金王のトライアルと同様)し、ファーストステージで敗れましたが53歳で賞金王に出場するのは並大抵の事ではありませんし、翌年には児島のマスターズチャンピオンで完全優勝(その時のモーターは2月に開催された中国地区選手権で弟子の白井英治が優勝したモーターという奇妙な巡り合わせもあった)、2017年にも名人戦を優勝し、今年は5月に地元の徳山の周年記念で弟子の白井英治(今村の弟子、若松のモーターボート記念でSG初優勝、2018年64年ぶりのSG開催となった徳山のグランドチャンピオンで地元でSG優勝を達成、SG初1着よりもSG初優出が先でSG初優勝は選手責任の失格による減点から巻き返してタッチスタートでの優勝で選手責任の失格をしてのSG優勝は白井のみ。減点だけなら2019年にグランプリのトライアル1stステージで馬場貴也が不良航法による減点でシリーズ戦回りになりシリーズ戦を優勝しているが6日間開催のSGで選手責任の失格または減点込みの優勝は現時点では白井のみ)と一緒に優勝戦を戦うなどまだまだ戦える事を証明しましたが、今村豊は引退しました。
昨年にはイン屋の大嶋一也(1999年グランドチャンピオン決定戦優勝)が引退し、今年は今村豊が引退し、個人的には競艇の時代が終わり、ボートレースの時代に本格的に移り変わる時なんだなということをヒシヒシと感じました。
長い間本当にお疲れさまでした。

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