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心理職がAV業界を肯定することの何が問題なのか?

はじめに

 私は性暴力被害者であり、いち当事者である。今回の記事はあくまで当事者目線で書いていきたい。私はセックスワークに従事したことはないし、体系的に基礎心理学、臨床心理学を学んだことはない。したがって、その辺りについて詳しく論じる能力も責任もないため、もしもっと詳しく知りたい方がいれば、別の記事や書籍を参考にしていただきたい。
 端的に今回の結論を言ってしまえば、倫理綱領に反するツイートはやめていただきたいというだけである。それがなぜなのか理解いただけない方も多かったため、事の経緯と私自身の体験を元に述べていく。

事の発端

 事の発端は、とある心理職が心理職と名乗りながらAV業界に肯定的なツイートをしていた事である。彼は以前にも同様のツイートをしており、私はその際にも指摘していた。しかし私が指摘した後も同様のツイートをしており、更にその投稿にいいね!を押している心理職までいた。そのため、私は自分の体調が良いタイミングで、彼および彼の周辺にいる心理職に指摘した方が良いと思っていた。つまり、彼だけの問題ではない。なぜか彼だけの問題に矮小化している心理職もいたが、いいね!を押したり、注意せずに見過ごしていた心理職にも責任があると個人的には思っている。
 そうした過去のコンテキストがあった上で、私は今回も彼の投稿に注意した。私の側からすれば、倫理的問題点については過去に説明したつもりだったため、私自身の経験を元に注意した。

 この時点で私は、彼や彼の周囲にいる心理職に注意喚起できればそれで良いと思っていた。ゆえにここまで拡散され、心理クラスタでこれほど議論になるとは思っていなかった。私のセラピストも「あなたは何も変なこと言ってないのに何でみんなあんなに騒いでるんだろうね~」と言っていたが、私も全く同意見である。
 ここでなぜここまで拡散され、議論を呼んだのか考えてみた。まず、私が自分のセラピストのTwitterを全部見ていたことが一部の方々にとって衝撃的だったのかもしれない。いやいや当事者からしてみれば、全世界に公開されているものを見ただけなのだから、それほど驚かれても…と思ってしまう。私のセラピストは割と自己開示する方なので、特定も容易だったし、私が見たことをセラピストに告げても「あはは。全部見てたんだね。その判断は妥当だよ。正しいよ。だから全然良いからね」という反応だったから、それほど他の心理職が驚くとは予想していなかった。次に、彼の元ツイートがなぜいけないのかわかっていない人が多かったのではないか?という点である。そのため大量にエアリプが飛び交い、どんどん議論の的が外れていったのではないかと思う。この点については後でよく論じたい。

心理職の反応

 心理職の方々の反応はさまざまだった。主にトラウマ臨床をされている方々からは、元ツイートが倫理的に問題であることについてもコンセンサスを得られたし、私がセラピストのTwitterを見ていたことに関しても「クライエントはそれくらいするよね」という反応だった。
 しかし一部の心理職からの反応は違った。1番多かったのは「当事者の方々を傷つけないようにどこまで気をつけるのか」「何に配慮したら良いのか」などという反応だった。心理職の方々なので、やはり当事者の感情にフォーカスし、その点について考えようと努力されていた点はさすがだと尊敬した。しかし、私は感情の話はしていない。そのため私は「倫理的に問題である」と追記したのだが、なぜかそれはスルーされてしまった。

 そしてどんどん話は発散していき、私への批判もどんどん増えていった。ご本人を含め複数の心理職が「他者はコントロールできない」という主旨の発言をされていた。それ以外にも、プライベートで使ってるのにとか、SNSでも心理職としての対応を求められてもとか、繊細な方への配慮とか、当事者へ反論できないとか、彼も〇〇だから云々とか、〇〇に関するツイートは大丈夫なのか?など、倫理の話から逸れていき、最終的には「言論の自由」や「嫌なら見るな」という話にまで発展していきました。
 しかし私が最初から言っているのは、「倫理的に問題である」という1点のみなのである。

何が倫理的に問題なのか

 臨床心理士・公認心理師はその職能団体等で、「基本的人権の尊重」が明記されている。また、各職能団体で若干の違いはあるが「人種、宗教、性別、性的指向、社会的地位、思想、信条等で人を差別しない」とも記載がある。
 これも実は追加のツイートで指摘しているのだが、性的搾取は著しい人権侵害であり、その性的搾取が蔓延している業界を肯定することは、倫理綱領の「基本的人権の尊重」に接触するのである。

 なぜか彼の投稿で私(当事者)が傷ついたと解釈された方が多かったが、私は傷ついたとは言っていないはずである。もちろん、これが拡散されたせいで私以外の当事者が傷ついた可能性はあるが、私が傷ついたからやめてほしいとは言っていない(はず)。そもそも倫理要綱に触れているというただ1点、それのみである。

倫理綱領に触れるだけではない

 倫理要綱に触れるという点で既に問題のあるツイートであるという結論は得られているが、それだけではない。個人的に大きく問題だと感じる2点について、下記に記したい。この2点はおそらくトラウマ臨床をされている方には自明であるため、元ツイートの倫理的問題に関してもすぐにコンセンサスが得られたのだろう。

トラウマの再演

 トラウマの再演とは、ハーマンによると下記の通りである。

児童虐待経験者は親密関係の枠内で自分を守るのに非常な困難を覚える。このことも避けがたく起こる。ケアと養育とに憧れそれを執拗に求める結果、過不足のない安全な関係を他者たちとの間に結ぶことが困難となる。自分を黒く塗り潰し、愛着の対象の人々を理想化する傾向によって、判断力はいっそう曇る。他者たちの絶望に対して、相手の身になってそれに合わせようとする態度と、自動的な、ほとんど無意識的な服従の習慣とは、これまた、力と権威とを持つ位置にある人たちに対して被虐待者を弱くし、傷つきやすくする。その解離という防衛形式も危険を意識的、客観的、正確に秤量するのを妨げる。そして、危険な状況をもう一度生き直してそれを正したいという願いがあるために、結局虐待を再演するという羽目にもなりかねない。
(中略)
被害の反復は疑いなく現実に起こっているが、この現象を解釈するのには非常に慎重でなければならない。これまでのあまりに長い間、精神科医の意見は無情な世間の判断を反映したものでしかなかった。すなわち、被害者は虐待を「求めていた」というのである。かつてのマゾヒズム概念も最近の外傷嗜癖という定式も、要するに被害者は虐待の反復を求め、それによって満足を得ているといわんとするものである。そんなバカなことがあろうか。たしかに被害者の一部が被虐待状況において性感の高まりを、さらには快感を覚えたと語ることはある。しかしこのようなケースは、幼少期の被虐待のシーンが意識的にエロス化されて強迫的に再演されているだけのことである。そういう場合でさえも体験の望ましい面と望ましくない面とがはっきり区別されているのはある被害経験者が語るとおりである。すなわち「私は自分に身体的虐待を加えるのが好きです。それをさせるためにお金を払うのも、好きだからです。 しかし、私は自分でそれを支配し制御していたいのです。 一時期、私が酔っぱらっていた時期、私はバーに行っては目についたいちばん汚れた、オエッとなるような男を拾ってセックスをしました。 自分を低めたかったのです。今はもうそんなことはしていません」。
J・L・ハーマン著、中井久夫訳 (1999年). 「心的外傷と回復 」みすず書房 p.174-176

 私自身も数年ほど前まで再演の症状があった。当時、一定期間性被害に遭わない状態が続くと、安心するのではなく、自分に価値が無くなったように感じていた。自分は誰かの性欲の捌け口としてしか価値が無いと思っていた。ゆえに性被害に遭わない状態が続くと、自ら体を売ろうとするのだろう。実際、セックスワークには従事しなかったが、それに近いことをしていた。何度も性被害に遭い、加害者の一部から「公衆便所」と言われていた私にとって、誰かの練習台になるのが自分にとってふさわしい立場だと思っていたのである。
 ただし私自身は厳密にはセックスワークをしたことは無いので、再演によりセックスワークに従事された方の具体的な例は、下記の記事を参照いただきたい。

 ここでわかるように、もちろんセックスワークをしている人の全てではないにしろ、既に幾重にも搾取されてきた性暴力被害者が、あくまで再演という症状によって、さらに搾取され、傷つきを大きくしているのである。あなたが見ているそのAV女優は、もしかしたら性暴力の被害にあった人で、しかもその被害の影響によって起こっている再演という症状で出演しているのかもしれないのである。ここまで説明すれば、その構造に心理職が加担することがいかに倫理的に問題かおわかりになるだろう。なぜなら心理職は、そうした性被害にあった人々を最も近くで支援する立場だからである。

AVを真似した加害行為

警察庁科学警察研究所が1997~98年、強姦(ごうかん)や強制わいせつの容疑で逮捕された553人に行った調査では、33・5%が「AVを見て自分も同じことをしてみたかった」と回答した。少年に限れば、その割合は5割近くに跳ね上がる。 ポルノ問題に詳しい中里見博徳島大准教授(憲法)は「女性や子どもを『モノ扱い』する過激なAVは、性暴力を容認する価値観を、見る者に植え付けかねない」と指摘。それらを簡単に見られるインターネットの普及で、危険性は高まっていると警鐘を鳴らす。
上記ニュース記事(2015/11/12付 西日本新聞朝刊)より引用

 上記の記事によると、AVを真似して性加害に及んだり、具体的な行為を真似たりすることがあるという。現に私もAVを真似たと思われる被害にいくつか遭っている。過去のツイートを引用する。(※具体的な被害の描写があるため、当事者の方はフラッシュバックに注意してください)

 私がレイプされて嫌がっているにもかかわらず「気持ちいい?」と加害者(中学生)が聞くのは、AVなどのの影響があったと推測する。また加害者(高校生)が異物挿入や潮吹きなどをするのも、やはりAVの影響があったと思う。そうした認識や行為をどこで知ったのかと考えると、AVの影響だと考えるのが自然だろう。もちろん加害行為に及ぶ加害者が悪いが、間接的な諸悪の根源がAVだと考えたとき、自分のセラピストがその業界を肯定していたらどう思うだろうか。私だったらセラピストが加害者側の人間にしか見えなくなる。

最後に

 私に直接「不快なツイートは見なきゃいい」と言ってくる人もいたが、何度も繰り返すが私は傷ついていない。心理職の方々がこの倫理的問題をお互いに指摘しあっていないから、当事者から指摘したまでである。したがって「見なきゃいい」は私にとっては何も解決にはなっていない。これだけ倫理綱領について理解していないと思われる心理職が多いのを目の当たりにしたら、当事者としては心理職に失望するし、その質を疑う。そうした点では傷ついたかもしれない。しかし「見なきゃいい」というコメントは「当事者からの指摘は受け入れないから黙ってろ」というようにしか聞こえない。
 また、私にエアリプで「何回言っても変わらないなら仕方ない」という趣旨の発言をしていた心理職がいたが、それは加害構造の再生産になりかねまない。当事者に言い返したらいけないというのも的外れで、単に加害構造を繰り返さないように注意するだけである。何か言いたいことがあれば、言っていただいて良いと私は思っている。
 私たちは何度も被害を訴えたり、助けを求めたりしてきたのに、その声を潰されてきた。だから「見なきゃいい」「何回言っても変わらないなら仕方ない」というのは、加害構造の再生産になるのである。当事者が声を上げても無視をするというのは、かつて私たちが加害者にされてきたことと同じである。しかも今回のように明らかな倫理綱領に接している問題を当事者から訴えたのに、その声を潰されれば、心理職がかつての加害者と同じ立場に立つことになるのである。

おまけ

 これだけ今回のツイートが心理クラスタで拡散されてしまったので、一連のツイートは私のセラピストの目にも入っていた。その私のセラピストの愚痴である。
「あなたたちが喧嘩してるクライエントの背後にはカウンセラーがいて、そのカウンセラーが苦労することをお前らは1ミリでもわかれってすごい思った。僕が仲良くしてる人も混じってて、お前がそういうことを言って、もし不安定になったら僕が大変になるわけじゃん。お前らが適当に詰って、不安定になった責任を僕が取るわけじゃん。僕はTwitterやる上でそこはすごい注意してるんだけど、みんなそこの想像力ないんだって思って。この人は支援を受けている人だから、その背後には支援者がいるわけで、僕は当事者の人から話しかけられたときに、うまくいったり、いかなかったりするんだけど、いま繋がってる支援者との関係性を壊したり不安定にさせちゃいけないって、まず1番最初に思うんだけど、それ誰も考えてないなって思った」

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