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日陰の気持ちのゆくえ
こんばんは。6月最後の日曜日、いかがお過ごしでしょうか。私は昼間の暑さが過ぎて、やっと涼しい風が吹いてくることにとても安心しながら、音楽をかけて、6月の出来事を振り返っているところです。夜にかけて、大雨が降ると天気予報が教えてくれました。
今聞いている音楽、ここにも置いていくのでよかったらご一緒に。
どんなタイトルにしようかなとこれまでのnoteを遡っていたのですが、その大半があまり明るくはない、日向か日陰かでいえば圧倒的に後者の日記たちでした。前向きか後ろ向きかでいっても後者…ではあるのだけど、いつも最終的には前向きになろうとして終わる節があります。明るくもなく、まっくらでもない。そういう意味で、「日陰」くらいがちょうど良いかもしれませんね。
元々、元気いっぱい!というタイプではないのですが、それなりにウキウキしたり、心がふくふくしているようなときもあります。でもそういう、幸せで満たされた状態のときに文章を書くことが、あまりありません。
SNSに添えるような小さな文章や、サクサクこなすことが必要な原稿はウキウキしているときのほうが良くて。長い文章、書き手の思いが必要になるときは、日陰の気持ちでいるほうが書けるのは、私だけでしょうか。皆さんはどうでしょう。いつもどんな気持ちで、文章を書いていますか?
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ここのところ、少し悩んでいました。
モヤモヤすることも、悲しくなることも、日々いろいろあって。それを文字にしてインターネットの世界に吐き出してしまう自分が、大人げなくて、かっこわるくて。自分の中にも、それで多少なりとも折り合いがつけられるならいいじゃないかという肯定派と、どんな理由であれやっぱりいいことではないよねという否定派がいて、客観的視点でいえば否定派が優勢です。
インターネットの世界で悩むよりも、誰かと話したほうが良い。そのほうが軽やかで健全だということは、よくわかっています。実際に最近も、やりきれなくなったときに電話やメッセージで聞いてもらったり、本当に困ったときには直接相談したりもしました。一番の解決策は、きっと話すことです。
わかっているのに悩むのは、「相談」と「弱音」の中間にある気持ちの置き場が時々わからなくなるから。そういうときに、インターネットはちょうど良い場所をくれる。いったん荷物を下ろして、どうすれば良いか考える時間をくれる。そしてその時間に、私はいつも救われてきました。
みんなどうしているんだろう、といつも考えます。今を生きている人たちもそうですし、それほど遠くない、携帯電話やインターネットが日常になかった時代、片づけられない気持ちたちはどこにいっていたんでしょう。
この日記を見つけてくれた皆さんは、どうですか? 気持ちの置き場所がわからなくなるとき、ありますか? そういうとき、どうしていますか?
私は結局いつも文字にしてしまうのですが、その行先についてはこれからもう少し考えてきたいなと思っています。不安なのは、私が下した荷物が誰かにぶつかってしまうこと。その可能性がなければ、こんな風に悩んでいないのかもしれません。
今日もまた、日陰の文章を書いてしまいました。初夏に見つけた視点のこと、編集の仕事にまつわること、夏至を過ぎてからの植物のこと。文字にしたかった出来事がいくつもあったので、また書きます。
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