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光の先にある〝つづき〟の話を

私は、いち編集者でありライターで会社員で、自分の名前で活動する作家でも著者でもありません。けれどもしも、「代表作」のようなものがあるとしたら、あげても良いのだとしたら、思い浮かぶ記事がいくつかあります。そのひとつが「函館市電の終点で、〈classic〉が照らすもの」という記事です。

もう4年前になるんだな、と思います。この記事を書いたのは、今日と同じように、しとしと冷たい雨が降る日のことでした。

取材をきっかけに、函館取材の際はほぼ毎回お店に足を運び、通えない時間も、函館取材の手助けをしていただいたり、相変わらず時々沈む気持ちを持ち上げてもらったり。クラシックの灯りに、私はいつでも守られて、救われてきたように思います。

定休日を使って取材を受けてもらった日、記事を書いた日、校正のお返事をもらった日。今でこそすべての時間が大切な記憶となっていますが、最初は「90%の確率で、断られるだろう」と思っていました。ダメもとで恐る恐る取材のお願いをしたあのときの私に、小さな拍手を送りたい。そして、「喜んで」とお返事をくれた伸さんには大きな花束のような気持ちを渡したいです。

函館取材の、夜のたのしみ。

あれから4年間、私はずっと書き続けてきました。仕事の精度でいえば、書くことも、直すことも、最低でもかけた時間の分、上がっているという自負があります。

そしてこの記事を、折に触れては読み返してきました。Webの読みものなので、直そうと思えば簡単に直すことができます。それでもここにある文章を、一文字だって変えたことはないし、変えようと思ったこともありません。今のほうが、「巧く書ける部分」はあるのかもしれません。一方で、こんなに「そのまま」書けたのは、あのときだったからだとも思うのです。

ただいつからか、「つづきを書きたい」というような気持ちがぼんやりと膨らんでいました。

いつかの取材終わり、クラシックの向かいにある建物に灯りが点ったのを見せてもらったとき、そこで小さなイベントが開かれはじめたとき。あの日書いた〝閉じている〟の範囲が少し変わってきているような気がしたんです。

つい先日発行したスロウ80号の中で、「もりかげ商店 良い風と、良い循環が巡るまちへ」という記事を書きました。もりかげさんは、慎重に言葉を選ぶようにしてゆっくりと、大切なことをたくさん教えてくれました。

そして、こんな文章を書きました。

土と離れても、人と離れても、それほど不便なく生きていけるはずの今の時代に、彼らを導いたもの。きっとそれは、「楽しいほうへと行けそうだ」という予感を抱かせてくれる、港まちの灯り。

スロウvol.80「もりかげ商店 良い風と、良い循環が巡るまちへ」より

軸にあるのはもちろん、もりかげさんの言葉です。けれど確かに、もりかげさんの言葉を受け取って、この文章を書いたとき、私が思い浮かべていたのは、クラシックの灯りでした。

丸いランプが照らすカウンター、その光のもとで過ごすひとたち、そこから生まれていくつながり。クラシックが照らしてきたもの、光の先にあるつづきの話をずっと書きたかった。書きながら、そんな思いに気づかせてもらいました。

(もっと言えば、今回同じ号で掲載したnonomama×atelier pomme de terre のおはなしが私の中ではすべてつながっているのですが…。書き尽くせないので、本を手に取っていただけたら幸いです)

スロウ80号の発行日前日にちょうど函館で取材があって、その夜、クラシックに立ち寄りました。カウンターには偶然、前述したnonomamaのおふたりの姿があって、直接本を手渡しすることができました(サムネイルはそのときにそっと撮ったもの)。

ご本人に会えて、つないでくれたクラシックのお二人が目の前にいて、もっと言いたいことがあったはずなのに、相変わらず言葉にするのが下手で、お礼を言うのが精いっぱいでした。宿についてからもなかなか眠れず、翌日も早朝目覚めてしまうくらいには胸がいっぱいだったのに、本当に何も伝えられなかったなぁとちょっぴり情けなくなるほどです。

思い返せば、いつもこうです。取材のときも、会いたかったひとを目の前にしたときも、気持ちばかりいっぱいになって、うまく言葉が出てこない。だけど、だからこそ、「書く仕事」に出会えてよかったなと思います。その場では言えなかったこと、胸いっぱいになるほどの気持ちをすべて文に編んで、渡すことができるから。

ゆきさんから靴下をいただいたとき/photo by 伸さん

スロウ80号は、創刊20周年を迎えた節目の一冊でした。私が編集部に入ったのは、53号の頃。その後15周年を迎えたとき、ずっと遠くに感じていた20周年の節目。特にここ数年は、20周年をひとつの着地点として追いかけてきたので、今ここにいられることを心からうれしく思います。

そして最後に。実はほんの少し、不安でした。ひとつの着地点に辿り着き、同時に「書きたかったこと」まで書いてしまったら、燃え尽きてしまう部分があるんじゃないか、なんて風に思って。

実際にここに立ってみてわかったのは、まだまだつづきがあるということです。確かに私の中で〝ひとめぐり〟したものはあったけど、完結はしていない。これからもうひとめぐりした先に、きっと素敵で楽しい何かがある。今はそんな予感に満ちています。

すぐに向かえる距離ではないけれど。これからも、函館とその周辺のまちを訪れて、一つひとつの光をすくい、編んでいきたいです。そして夜はクラシックで、雨の音や誰かの話し声を聞いていたいです。

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