大人は通常洗脳されている。 その洗脳が浅いか深いかの違いだけだ。
大人は通常洗脳されている。
その洗脳が浅いか深いかの違いだけだ。
というのがタイトルってのが恰好いいなあと思い、そうする次第。
しかし、それは本当に日々日々そう思うのだ。
何せ、それは何も、サティアン(NOT旧ニチイデパート)で集団生活を送り、ヘッドギアを付けて念仏を唱え、「修行するぞ」とばかりに無給労働を一日16時間行い、麻原某の風呂の残り湯を恍惚の表情で飲み干す様な、地獄を天国と認識する程のすさまじいばかりのネガポジ変換の様のみを言うのではなく、それはあなたにも私にも、多かれ少なかれ、大なり小なり、大同小異、大波小波、コナミックスポーツインSEOUL(1988)からの、コナミスポーツクラブ入会後即退会(理由:ただ面倒臭いだけだった)の様に、誰しも他人ごとではなく、あるものなのです。
かつ、そしてそれは何も、ニヤニヤして己のアゴをさすりながら、「バケモノアゴ男」と自虐をかましては自嘲もし、過去には髪を伸ばし鮮やかな色に染めてフロンガス入りヘアスプレーで立たせながらヘビーメタルシャウトをかましまくっていたはずの男が、洗脳後はサラサラヘアーのセンター分けで、誰がどこからどう見てもザ・一般人(しゃくれ属性)といういでたちでもって、フォークギターを片手に全国行脚して魂のフォークソングを歌う活動をしだすだのなんだの、そういう事を言っているとまた例のごとく、いつまでも話が脱線しているにも関わらず、素知らぬ顔で「いや、レールなど最初からなかった」とうそぶくかの様に、何やら別のタイムラインに乗っては、概念という概念を覆し、否、覆しては肯定し、肯定しては覆し、何がなにやらわからなくなっているのに、いつしか「いや、やはりレールはあった」とふと原点に立ち返り、何事もなかったかの様に再びレールに乗る次第。さあ、ようやく出発進行だ。
・・で、何なんだっけ?
そうそう、あなたにも私にもある洗脳の話。それはまずは、大衆への教育という事の意義とか意味合いだとかを考えてみれば良い。果たして、大衆に広く知らせる最大公約数的な内容に、真実というものがどれほど含まれている事やら。
それは例えばチャートをにぎわすヒット曲、ポップミュージックの様に、薄っぺらいものだし、嘘くさいものではないだろうか。それはいわば、ザ・人畜無害な内容と言える。
しかし例えばM.C.A.Tの様に、あまりにもひどく薄っぺらいものだと、それはそれで逆に何やら新たな価値を持つ様にも思うし、そうなると一番嫌なのはまるで何か革新的な事を行っている様で、結局はポップミュージックの一つの手法でしか無い様な類のスノッブさなのだが、そういう嫌な事は考えない方がいい。世の中は、好きか、無関心かでいい、ってteststeronさんが言っていたから。
だからこそ、今一度考えてみてほしい。この世の中で実際に起きる事は、一体どの様なものか。それは人々の謀略やら、諜報活動の成果やら、集団と集団の密かなる戦争、その様なシークレットな内容のものではないかね?つまり人畜有害な毒素をたっぷり含んだ、生きた活動なわけで、そこに、大衆には秘密の、トップシークレットな真実というものがあるわけだ。
それはまた例えば歴史の教科書、そこにはどうも納得しかねる、人の生や性を感じない、言わば「死んだ」物語がフィクション的に綴られているのみである。実際に人間が熱意を持って動いて来たその躍動と躍動のぶつかりあいで、歴史というものは動くものだろう?違うか??そういった、人間達のドス黒い欲望やら、良くも悪くも生き生きとした熱意やら、情熱熱風やらが、世界を動かし、歴史を作って来たわけであって。
だのに、教科書に書かれている内容は本当に、何の熱意も感じない。情熱も、熱風も、勿論セレナーデも感じないし、だからと言ってスニーカーもブルースも、ハイティーンもブギも感じないし、加えて、けじめも無い。要はそれは、事実を基にした脚色、フィックションなストーリーなわけだ。
それは例えるならば、本家「まんが道」に対する、「ハムサラダくん」の様なものであり、それがわかりにくいなら、アニメ版ドラゴンクエストやら、ダイの大冒険の様なものであり、元の世界観やアイテムやら一部のモンスター等の設定を踏襲しただけの、オリジナルストーリーのようなものであると言えるかもしれない。
そしてそこで大事な事は、読み手はその事を踏まえなければならない、という事であり、まるでそのアニメ版や漫画版の独自のストーリーが、あたかも本家本元のストーリーと誤解してしまう様な錯誤、そういう所が、我々の歴史認識にはありはしませんかね?というわけだ。
フィクションを事実と錯誤・誤認するくらいならばむしろ、ただ名義や世界観を貸しただけでガッポリ儲けるメディアミックス的展開を羨ましがるくらいの浅ましさの方が望ましい。
で、結局それは、学校とかで真面目に学べば学ぶ程そういう感じになって行くのであって、ゆえに、学校教育の行き届いた国であればある程、洗脳も深くなって行くわけだ。自分は幸い、以前書いた様に「夢見る瞳ちゃん」状態で学生の日々をやり過ごして来たわけで、洗脳の度合いがあまりも薄かったから、ちょっとraptブログを読んだだけで、一瞬で洗脳が解けた。
しかしraptブログ、今改めて読むと、なんだか危険というか、文章がうまいというかなんというか、逆にキリスト教に洗脳されてしまう様な、引きずり込まれる勢いがあって怖い。それで引きずり込まれている人もいっぱいいそう。信者の誕生だ。
だから、何が言いたいかというと、洗脳から洗脳への流れの方がむしろ危険、と言いたい。
今回もまた言っている内容はごくわずか、蛇足に次ぐ蛇足の駄文で文字数を稼いでいるので(仕事ではないので文字数を稼ぐ必要は微塵もないのだが)、これはまた次回に回そうか。
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