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ゼミに落ちて人生が変わる??



ゼミで人生が変わる。

こんな言葉聞いたことありますか?

これは、私が実際にゼミを通して人生が変わった話です。

1.ただの大学生活の始まり

2017年4月
つらい大学受験も終わり、新しい生活が始まった。
法政大学スポーツ健康学部、なぜこの学部を選んだか??

この質問に対して、当時は「なんとなく」としか答えれなかったと思う。

とりあえず、MARCHに入れればいいという安易な気持ちがあったに違いない。
他社からの評価ばかり気にしていたので、有名大学に入ることが目的になっていた。
大学でなにをしたいか、なにを学びたいか。
うっすらと描いていたのは、「サッカーチームのフロント」くらいでしょう。。

そんな私は、いわゆる大学生のサークルではなく、準体育会のような社会人サッカークラブに入った。
このチームは、ほぼ同じ学部生で構成されており、選手兼監督に学部の専任講師が所属している。

この「選手兼監督の専任講師」が私の学生生活のキーマンだ。

2.ゼミ選考の始まり

大学1年の秋、ゼミ選考が始まった。

私が専攻しているスポーツビジネスコースには、4つのゼミがあった。
その内の3つは、合同ゼミという形式で3人の教員の元、ゼミ活動をしていた。
3人の教員とは、
A:私の所属しているチームの選手兼監督
B:私のクラスの担任教員(形式上)
C:今年からこの学部に来た女性教員

3人中2人が顔馴染みの先生だったため、私は入りやすいのでは、と思った。

そして迎えたゼミ面接。
2対2。
ゼミ希望者2名 ⇦⇨    教員A,B

いつも通り話せたので、

安パイやな。

そう思っていた。

3.裏切り

「あ〜、良かった。ゼミ受かってた」

朝の筋トレ中に友人が呟いた。

彼は、同じゼミを受けていた。

『お、結果出たのか。俺の名前あった??』

軽い気持ちで彼に聞いた。

「多分無かったと思う。」

???

言葉が出なかった。

いやいや、さすがにあるでしょ〜
と思って、掲示板に確認しに行くと、本当になかった。

何度確認しても自分の名前がなかった。

なぜ落とされたのか。なにが原因なのか。
正直見当もつかなかった。

なんとも言えない気持ちのまま時間だけが過ぎていく、

そのとき、

私が食堂に向かう途中のエレベーター前に、A,B教員がいた。

私は、普段通りではいられなく、顔を背けたまま通り過ぎた。

主観的考察ではあるが、これで落とされるというのは納得いかなかった。

正直、裏切られた気持ちになり、勢いのままに

所属クラブのLINEグループから退会した。

チームメイトには申し訳なかったが、もう戻れないと思った。


4.冷静になってみた

この出来事の後、いろんな人に相談した。

「戻ってきて、一緒にサッカーしようよ」
と、チームメイトが連絡をくれる。

嬉しい気持ちもあるが、正直それは自分勝手過ぎないかと、
私は思った。

そりゃあみんなとサッカーがしたかった。

でも、練習に行けば必ず奴がいる。
当時は、本当にこんな気持ちだった。

A⇨友人⇨自分
の流れで、おとされた経緯が自分の耳に入ってくる。

『A先生は入れてあげようとしたんだけど、B先生がそれを拒んだ。』
『クラスのBBQのときにかんじろうが水風船で暴れたからだよ』
とか、、

正直、後になって色々と理由を説明することが、
自分は言い訳にしか聞こえなかった。

BBQについて説明すると、
クラスでBBQをやったときに、1人の女の子が水風船を持ってきて、食事後に水風船の投げ合いをした。
私は、闘争心が強いのでいろんな人に水風船を容赦なく当てていた。
あくまで水風船を持ってきたのは、女の子であり私は水風船遊びで目立っていた。というのが事実だ。

しかし、この光景をみたB先生が「水風船を持ってきたのはかんじろう」と勝手に解釈していた。

そして、この出来事を

かんじろうが水風船で暴れた。

と記憶して、マイナスイメージがついたのかもしれません。

自分の行動が間違っていたとは思わなかったし、2人の教員の対応は、大人としてどうなのか、
と、思った。

しかし、

なにも話さず関係を経つというのは情けないな

と思った。

そこで、A先生に会いに行った。

こちらは身構えて研究室に入りましたが、向こうはフランクに話してきて、
かなり腹が立った。

まあそれは置いといて、

色々と話をされましたが正直一切頭に入ってこなかった。

ただ私は考えた。

ここでこの先生との関係を断つということは、

学生生活で常に彼を意識して行動しなければいけない。

これは、かなりのストレスになると感じた。

意外にも、ほかのゼミの話などもしてくれたので、上手く利用させてもらうためにも、気合いで受け入れることにした。


5.そして現所属ゼミと出会う。

ゼミの2次募集では、シンプルにゼミ長との面接で落とされたが、単にこれは力不足でした。

そこで、意外にも声をかけてくれたのがA先生だった。

「合同ゼミのC先生に頼んでみようか?」

当時の私は、とにかくゼミに入らないと行けないと思い込んでいた。
すぐに連絡をし、面接の日にちを決めた。

ここでC先生と初めてお会いした。

面接は、圧迫面接のようでかなりビビったが、自分の気持ちをなんとか伝えた。

後日、ゼミに入れることはできない。
1次面接で落ちた子もいるわけで、2回面接落ちた子は入れられない。

そんなニュアンスのメールが来た。

しかし、私はひきませんでした。

『単位貰えなくても良いので、ゼミに参加させてください。』

自分の熱意を伝えると、承諾していただいた。

ここでこのメールをしていなければ今の自分はない、

と胸を張って言える。

6.遂に始まるゼミ活動

Cゼミの見習いのような形でゼミ活動が始まった。

運良く仲の良い友達がいて、居心地の良い時間だった。
見習いという肩書きがあるので、向上心を持ち何事にも積極的に動いた。

すると、ある日C先生から

「かんじろう頑張ってるから、単位出すよ」
と言われた。

信じられなかった。
頑張りが認めてもらえた。

さらに頑張ろうと思えた。。

7.ゼミの独立

3年のゼミ活動は、意外な形になった。

経緯は詳しく知らないが、C先生が合同ゼミから抜け、独立ゼミになった。

ここからの1年間は、ゼミ中心の日々。

知識量、ディスカッション、プレゼン力。

この1年間で学んだことが多すぎて、整理が出来ていない。
当時noteをやっていたら、
Input と output のバランスを上手く保てたのだろうと思う。

8.内面の変化

人生が変わった。
と、簡単に言いますが、なにが変わったのか。

一番変わったのは、考え方です。

特に、行動に明確な意図を持つようになった。

前述したように、私は大学選びに明確な理由などなかった。

そんな私が今では、

将来は、社会貢献できる人材になる。特にスポーツは万人に平等であるべき。

とも、偉そうにいえるようになった。

これは自分自身で感じる大きな変化だ。

また、将来のビジョンが見えた。
ということは、人生のビジョンが見えたといえる。

つまり、人生のビジョンが見えるきっかけがゼミだと言えますね。

9.まとめ

この3年間を振り替えると、自分の学生生活は良くも悪くもゼミ中心だったんだなと思う。

3年のゼミ活動が自分自身大きく成長できた1年であり、ゼミで人生が変わった瞬間だと言いたいところですが。。。

1年の秋にゼミに落ちていなければ、C先生と出会うことはなかった。

こんなに濃い3年生を過ごすことは出来なかった。

そう思う。。

最後に、、

僕を落としてくれてありがとう。

そして、私の人生を変えてくれてありがとう。

と、A,B先生に伝えたい。


ここまで読んでくれた方へ。

挫折を経験することは誰にでもあると思う。

その時どうするか。

現実逃避するのか。

違う選択肢に妥協するのか。

選択に間違いなどないと思う。

ただ、私が伝えたいことは

決められた道、形跡のある道だけを見ないでほしい。

新しい道を作ればいい。

先駆者になれば良い。

最初に道を通る人はみんな先駆者。


カッコつけてしまいましたが。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次は、野球離れの研究発表をまとめます。



かんじろう