私の履歴書part5


〜中学最大の転機〜

《人前で立つ事が多くなる》

私は中学2年の頃今後の人生にも大きく影響する最大の転機がおとずれます。

中学2年生になったばかりの頃、
私のクラスで級長を誰にするか
決める時間がありました。

私は級長なんてやるかと思っていたので、
周りの友達と話してました。

先生が誰か級長なりたい人いないか、
立候補したい人いないか聞いたところ
誰も手を挙げませんでした。

そこで誰がこのクラスで
級長にふさわしいかアンケートを取ることに。

私は誰でもいいと思っていたので、
1番クラスで頭が良さそうな佐藤の
名前を書きました。

で、その日の帰りの会で
先生がアンケートを集計したところ
私の名前が1番多く書いてあったということを
みんなの前で公表し、はれて私が
2年3組の学級委員長に選ばれました。

その時の私の本音は、
『マジか、マジか、マジか、マジかーーーー。
なんで俺、なんで俺、なんで俺、なんで俺。』

と動揺していました。

何で私なんだろー、
と考えて周りに聞いてみたところ、

『かんじくんは頭が良さそうだ』という
意見が多かったのです。

明日から皆の前で話す機会が多くなると思うと面倒くさくて嫌だなーと思ってました。

普通だったら、『選ばれたからには頑張ろう』とか『みんなの前で話す機会が増えるからいい経験ができるぞ』とか

前向きな考えが少しあると思うのですが、
私の場合それが皆無でした。

なので嫌々級長の仕事をこなしてましたね。

級長の仕事は何をするかというと

『朝の挨拶、授業の号令、学年集会での司会、
文化祭と体育祭の運営、席替えのミーティング進行役などなど』

ほぼ人前に立って何かを話す事が
多くなりました。

最初はマジで吐き気がするほど
緊張して手が震えたり、
足がガクガクしたり
言葉もうまく話せませんでした。

正直、めちゃくちゃしんどくて
学校行くのやめようかどうか
考えたりもしました。

ただ、ここで逃げたらかっこ悪いなと
思ったのでなんとなく続けていきました。

相変わらず話し方のクオリティは
低いままでしたが場数を踏んで行くと
意外と慣れていった私。

さすがに毎日毎日朝の朝礼で、
発言しているのでそれは慣れますよ。

中学2年生を終わる頃には、
すっかり人前で話すことには慣れていましたが、
相変わらず口下手だったのでハートだけ強くなった感じですね。

でも自分自身凄く成長したと思います。

中学3年になってからは、
自分から級長になりたいと立候補し、
中学2年の時と同様、
前に立つことが当たり前になりました。

中学3年ではさらに上のステージを
狙おうと決心していた私。

合唱コンクールの指揮者と
体育祭の応援リーダーを
自分で率先して立候補して
徐々にクラスの中心的存在になっていきます。

ただ、私には表と裏の顔がありました。

part6に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?