高杉晋作


こんにちは、かんじです🤗

本日は高杉晋作さんについて
書いていこうと思います。

高杉晋作さんは、
幕末の上流武士の子として生まれ、
幼い時から負けん気の強い子でした。

14歳で、名門校明倫館に入り、
学問を勉強しますが
決まりきった授業に嫌気がさし、
落第を繰り返してます。

そんな中、友人の久坂にたまたま会い、
吉田松陰さんが開校した
松下村塾の話をされます。

そして晋作さんは松下村塾に対して
すごい興味を持ちます。

なぜなら、松下村塾では
江戸幕府が禁止しているような
教育をさせているからです。

例えば、生きてさえいれば、
命をかけて日本を変えていくためには
何をしなければいけないのか?

とか、

幕府の通称条約をどう思うかとか、

幕府に対して
マイナスになるような教育をしていたからです。

なので晋作さんの両親も
反対していました。

我が息子が松下村塾に入るなんて
ありえないという考えです。

ただ晋作さんは、反対されればされるほど
行きたくなるタイプなので 
黙って松下村塾に行ってしまうのです。

24歳になった晋作さんは、

海外視察の仕事をしてほしいと言われ、
人生初の海外旅行をすることに。

行き先は中国です。

船を航海しながら
中国まで向かいます。

中国ではこの時アヘン戦争が行われ、
中国人はイギリス人とフランス人から
奴隷扱いされていたのです。

それを見た晋作は、
日本もいつか西洋人に狙われて
植民地にされるのではないのかと
強く思ったそうです。

視察が終わり帰国した晋作は
すぐに行動に移します。

まず日本を変えなければいけないと
考えてた晋作さんは
江戸幕府倒幕の計画を企て、

次に
町人や商人と言った身分の人達に
共に戦ってくれる人を募集します。

そして出来たのが長州奇兵隊になります。

奇兵隊の半数以上は、
町人や商人で成り立っているのですが、
幕府をどんどん攻撃し、
大勝利を収めるのです。

これがきっかけで
幕府の力が弱まります。

素晴らしいですね。

私が思うに高杉晋作さんは
吉田松陰さんが開校した
松下村塾の教えを充実に守っていると
思いましたね。

『生きてさえいれば命をかけて日本を変える』

これこそが晋作さんの行動を変えた
きっかけの言葉だったのではないでしょうか??

私もこの言葉に心打たれました笑笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?