「言葉って外にあるんだよ」を受けて考えるガルクラとヨルクラのライバル関係

言葉ってさ外にあるんだよ

言葉ってさ外にあるんだよ
言葉にした瞬間
自分の中にあったものが外に出て形になっちゃうんだよ

ガールズバンドクライ 10話 仁奈のセリフ

言葉は自分の気持ちをカタチにしている
しかし気持ちが相手に届くかは保証されていない
言葉は自分の心から生まれるけど言葉にした瞬間に外に出る
読み手聞き手 相手の解釈になる

同じ言葉でも人によって理解が解釈が異なる
それどころか一度言葉にしてみると自分で読み直してもさらなる理解が深まる
わたしは感想を書いたあとで読み直すと追記したくなる
前回書いた感想なんて3回追記した
言葉に出すことで自分の言葉ですら客観視できる

相手によって解釈されるのは言葉だけじゃない
アニメもマンガも同じ
作品はみな作者から生まれるけど受け取るの相手によって解釈が異なる
わたしがみている作品とあなたがみている作品は同じ作品
だけど見ている人の心が違う
人それぞれの経験の違いで理解が変わる

わたしはアニメの感想を書くのが好きだが他の人の感想を見るのも好きだ
わたしと違う解釈の感想があったとする
作者の考えに近いほうが正解で遠いほうが不正解なのか?
いや正解とか不正解とか無いように思える

それが正解でも不正解でも 自分で選んだ答えだから 誰にも採点されたくない 決めつけられたくない

夜のクラゲは泳げない 最強ガール

自分語り

国語の時間に「作者の考えを述べよ」と言われて答えを書いた
でも先生の◯が正しいと思えたことはなかった
先生はこの人は作者の何を知って◯をつけてるんだろうなと思ってた
クソ生意気な小学生

読書感想文は何を評価されるんだろうなと思ってた
読み手が知らない本だという前提ならあらすじを書かなくてはならない
でもあらすじって正直感想とは関係ない部分だから書かなくていいんじゃないかと思ってた
今ならあらすじを書くこと自体が本を読み取った解釈を自分の言葉で書きなおすことになるので意味があると感じる
ちょっと大人になった

ガルクラに戻る

仁奈が父親に向けた思い
自分の望むことをしてくれなかった裏切られたような思い

子供の頃大人は何でも知ってると思ってた
常に正解を導いてくれて自分の心を全て理解してくれると思ってた
思えば親が子供にそう思われるように努力していたのだろう
子供が成長するにつれ自我が生まれてきて子供の正解と親の正解にズレが生じる
どっちも間違っていないはずだけど子供にとっては親が裏切ったと思える
反抗期

仁奈は親は親という存在ではなく一人の人間なんだと理解できた
勘違いとも違う すれ違いの感情
親も一人の人間なんだと思えるようになった成長

人間は親でも他人
だから親友と思っていてもすれ違いは生まれる
仁奈とヒナもそうだったんだろうなと思える
次回でおそらく二人はぶつかりながら相手の気持ちを理解していくんだろう

仁奈は「言葉って外にあるんだよ」と言ったわりには理解ができていないようにも思える
それは智が指摘した通り仁奈の経験不足ゆえのことなんだろう
仁奈の心の想いを言葉にしていないから父親に伝わらない
仁奈は桃香さんの心を外に出した言葉「空の箱」の言葉をうけて自分の心を理解した
父親の不器用な言葉を受けて愛されてることを理解した
言葉を 歌を作ることができるようになった
「私の歌が書いた私の歌」
空の箱から生まれた仁奈の歌
仁奈の言葉 空白とカタルシス

経験をかさねた仁奈は他人を理解できるようになり寄り添うことができるようになった
でもそれはロックの心が遠ざかっていくことじゃないかとも思う
勝手な解釈だがロックは外に対する不満
外敵を攻撃する手段だと思う

ガルクラとヨルクラ

ガルクラはトゲ
無数のトゲがたくさん出ていて敵に刺さる
仁奈という主人公の体験
いじめ、親の不理解、桃香さんの挫折に対する反発
事象 外の出来事に怒りを敵に刺す
視聴者は仁奈の体験に自身の体験を重ねて怒りをぶつけてくれる仁奈の行動に自分の心を乗せる
外に向ける攻撃の意思を仁奈の行動に重ねる

ヨルクラはクラゲ
触った人に刺さる クラゲ刺されると強烈な毒が回る
JELEEの四人の群像劇
コンプレックス、望む自分になれない苦しみ、親に見放された悲しみ、差別、虚飾
心の内にある不満を溜めて寄り添ってくれる誰かと共に解放する
心象 心の内に寄り添う
視聴者は四人の心に寄り添うことで自分の心に向き合う
四人の内への理解から自分の想いに重ねる

今期アニメで注目されてるヨルクラとガルクラ
アプローチ方法がまるで違う
けどテーマが似ていたりと互いが互いを高め合うライバルみたいな関係になってると思う

そのせいか感想見てると片方をアゲたいばかりにもう片方をサゲるものがあったりする

感想の感想

感想や心の評価は相対的なものじゃなくて自身の心にどう響いたかという絶対的なものだと思う
だから他の作品をサゲたところで好きな作品はアガらない

もしかしたら今サゲてる作品は理解する準備ができていないだけ良さが見えていないかもしれない
いまは刺さらない作品もあとで見返したときにぶっ刺さることもある
願わくば好敵手と思うのであれば相手をリスペクトする精神であってほしい

とは言えど感想はその人のものだし今の感情を出すものだから今後どう思うかなんて知ったこっちゃないないのかも
自由だ 感想を書くのは自由だ

とか言うわたしも人の感想をみるのが好きなのは自分が好きなものを他人がどのように好きなのか表現しているのを見たいから
好きなものをサゲてる感想は見たくない
好きなものを好きだからこそ批評するのとありだけど好きじゃないものをサゲるのは見ても仕方ない
そんなわけで見たくないからミュートする
自由だ 感想を見るのも見ないのも自由だ

自由は素晴らしい

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