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夏は夕暮れ

うだるような暑さは何時迄続くのだろうか。
寝そべりながら時折外を眺めると、この暑さに苦悶の表情を浮かべた人間達がふらふらと彷徨っているのが見える。これでは今宵も寝苦しくなるだろう。主人にヒンヤリシートを用意してもらうよう伝えよう。

夏は夕暮れ とは蓋し名言である。小生、夏の昼間は苦手であるが夕暮れの散歩はオツなものと感じている。肉球に触れるアスファルトは、まだ真昼の情熱を孕んでいるが、それが何故か心地よい。さて、「夏は夕暮れ」とは清少納言の言葉であったか。平安時代から我々の感覚はそう変わらないのである。清少納言という女性は我が強く、他人に褒めてもらいたい‥今で言うところの「自己承認欲が強い女性」だと、かの有名な紫式部は評している。この2人の女性のどちらが好ましいかは、平安時代から殿方の中では永遠に語り継がれているテーマであろう。小生としてはネチネチと他人を評する女人より清少納言の方が可愛げがあると考える。

そんな夕暮れになると、週に1度主人が流すラジオがある。女性と男性が話している一見他愛もない番組かと思い、始めは聞き流していた。しかしこの暑さの中でなかなか眠りに就くことができずにぼんやりと耳を傾けていたところ、普段ラジオではあまり聞けないような忌憚ない発言が飛び出してくる。つい小生の衰えた耳が集音のために動き、髭が久方ぶりにピンと張るのを感じた。あまりの発言の小気味良さに、小生はぼんやりと先程の清少納言と紫式部のことを考えた。この女人と殿方からしたら清少納言は「自意識を我慢できないいけすかない女」となるだろう。では紫式部はどうか?さしずめ、「嫌いな女と同じくらい自己承認欲求に溢れているのに、それを認めることができずにマウントを取ることで自意識を発露するいけすかない女」といったところか。ご両人の意見を小生なりに考え、破顔一笑。嗚呼、今日の放送ももう終わってしまう。ぎこちなく揃う「まったね〜」の声を聞き終え、小生は水飲み場へ向かい水を飲んだ。甘露、甘露。喉を鳴らし体を震わせていると、1週間後がすでに待ちきれない自身に気づいたのであった。


夏深し 胸高鳴るは 月の夜

(了)


#131でヴァジャさんが「犬を『犬』と呼んじゃいけない風潮がある」とおっしゃっていたことにものすごく共感しました。この場をお借りして、インスタやtwitterの犬アカウントで更に自分がモヤモヤしていることを伝えたいです。それは、「犬になりきって赤ちゃん言葉でしたためられた投稿はキツイ」ということについてです。例えば、「散歩でヨークシャーテリアのサボンちゃんという犬に会った」ということを報告するのに、「今日はなかよちでだいしゅきなサボンちゃんに会いまちた〜♡また会いたいでしゅ♡」といったように書かれているものです。幼犬の間はそれでいいかもしれませんが、犬の成長につれて赤ちゃん言葉→小学生の絵日記調→中高生の前略プロフィール口調→謎横文字多用社会人なりたて口調→おじさん構文→小生おじさん口調 というように口調も犬に合わせて成長させてほしいなと思うのです。
「本日散歩にて、小生の竹馬の友であるヨークシャーテリヤのS氏と邂逅す」といった口調なら犬のなりきり投稿でもすんなり読めるし、読みたいと思います。今回はこのことへのアンチテーゼを込めて、小生おじさんレビューを投稿させていただきました。小生おじさん選手権の趣旨とは外れ、自分の主張を盛り込みすぎたことをお許しください。夏の熱い選手権を楽しみにしております。ご両人とも御身お大事になさってくださいね。

(カニ)

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