パワハラ被害者として生きない

誤解を恐れずにいうと、僕は「ハラスメント被害者」として生きる道もあったと思う。

どういうことか。

労働組合に入って、上司のハラスメントを訴える。労災事故として公的に認定してもらう。上司を相手取って、損害賠償請求の民事裁判を起こす。

こういう道も選ぶことができたはずだ。でも、選ばなかった。

なぜか。

身の回りで相談した人たちからの影響が大きい。オンマに「労災認定してもらうようにしようかな」と相談したら、「やめときいや」と言われた。「なんで?」と食い下がったのだが、理由は特になくて、でも、「やめときいや」と。

彼女に相談したときもそうだった。とにかく「やめときなよ」と。彼女は僕と会社がケンカすることを好まなかった。当時はやはり「なんで?」と思ったのだが、今はそうやって言ってくれたことに感謝している。

兄もそうだった。兄も同様にハラスメントを受けた経験を持つのだが、訴え出るというよりも、自らその場を去ることを選んだ。その経験から、「訴え出るのも大変やで。勝てるとも限らんし」と言ってくれた。

…というような周りの人たちのアドバイスがあり、僕はその道を選ばなかった。一時期、パワハラ問題の本を読み漁り、労働安全衛生法にすごく詳しくなったりもしたのだけど。

この選択をしてよかったと思う。

もし、「被害者」の道を選んでいたら、こんなに早く人生の進路を変更できていなかったと思う。まだ会社に残っていただろうし、大学院を受けることもなかっただろう。学振ももらえていなかったと思う。ましてや、この3月から韓国に留学なんて、とてもとても。考えられない。そういう意味で、「選ばない」という選択をしたことは、自分にとって本当によかったと思う。

そして、この選択ができたのは、周りの人たちのアドバイスとともに、カウンセリングの影響が大きかった。自分の生きる力(他の言い方を見つけたいが、とりあえずこう言っておく)を引き出してくれた。自分で自分の人生を考えて、自分で自分の道を選ぶための力。そういう力を回復させてくれたのが、多い時で週に1回のカウンセリングだった。だから、カウンセリングの先生には本当に感謝している。心から、感謝している。ありがとうございます。

優雅に自分の人生を生きること。それが最大の復讐なのだ。

ときたま、こうやって自分で自分を励ます。

励ますのはいいのだけど、もうそろそろ忘れたい。忘れ去りたいという気持ちがある。もう十分だ。ハラスメントの塊のようなあの人たちを思い出すのはもうたくさんだ。

3月から1年間、韓国留学に行く。
韓国に行けば、頭が切り替わると思う。学生生活に入るから。早く切り替えたい。切り替えて、新しい人生をスタートさせたい。

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