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なぜアメリカMPHで学びたかったのか


Covid-19 パンデミック以来、おそらく
「公衆衛生」「疫学」などという言葉を耳にする方々が
増えたのではないでしょうか。

しかしながら、MPHと言われて
すぐに認識できる人はそう多くないのか と個人的には思います。

MPHとはMaster of Public Healthという公衆衛生学の修士号のことです。
通常、社会人経験がある方たちがより公衆衛生の分野を学びたいと思った際の言わばプロフェッショナルDegreeなどと言われることがあります。

日本で医療従事者として働いている方たちの中には
MPH留学というものを 他の非医療者よりも 耳にすることかもしれません。
とりわけ医師の方たちの中では MPHの中でもより疫学を重要視され
アメリカやイギリス、オーストラリアなどの留学を試みる方々もいるかと思います。

更には、今では日本でもMPHのプログラムが増え、海外に行かなくとも、国内で仕事を続けながら学ぶ機会も増えててきておりいいことだなと思います。

私が興味を持ち始めた頃、京都大学と東京大学がこのMPHプログラムを提供しておりました。

では、なぜ私が日本ではなく、アメリカのMPHで学びたいと思うようになったかの経緯をお伝えしたいと思います。

当時、地元の看護大学を卒業後
一番行きたかった公立の病院でBedside Nurseとして
勤務をしていた際、経過の思わしくない患者さんたちに出会いました。
そうした様々な患者さんとの関わりの中から、
早期介入、予防的アプローチはできないものか、と
自分なりに考えるようになりました。

ある時、まだi phoneのない頃に
インターネットで「予防医学」「公衆衛生」などのキーワードを下に学べる機会はないものかと考え検索をし始めました。
当時は「公衆衛生」は今ほど知られていなかったと思うのですが

とあるアメリカ公衆衛生大学院を留学された方々の集まりが開催されていることを知り、その会場に足を運びました。
そこで厚生労働省などの政府機関で働かれている方たちもいる中でお話を伺い、「アメリカ大学院留学が楽しかった」と仰っていた方たちがご自分の経験を話して下さいました。

具体的な内容は忘れてしまったのですが、
当時の印象としては
「海外の大学院で勉強することは、どうやら楽しいらしい」
との解釈を受けました。
学ぶことが楽しいと言える何等かの魅力が
海外にはあるのかな、と想像するようになりました。

他にも不思議な出会いとエピソードが重なり
いつしかアメリカのMPHプログラムで勉強をしてみたいと思うようになり、他の選択肢と比較をしながら、いつか私もMPHプログラムに入れるように行動を起こすことにしました。

そこからがアメリカMPHへの道が始まります。

因みに周囲にはMPH留学をされた方はおらず
日本国内の大学院に進学された看護師の先輩や同期はいたものの
海外にまで行き、さらにはMPHを選ぶ方と出会う機会がありませんでした。

また父はパスポートすらない海外とは無縁の人であり
母も結婚後、しょうがいを抱える子どもを育てることとなり
海外とは程遠い生活をしておりました。

海外留学をしたことがなく、社会人になってからの留学を試みるのはどこか無謀ともいえたかもしれません。

実際問題、私の場合、決してスムーズにいかず、様々な遠回りをしてきました。しかし、それらのどの出来事も必要あってのものだったかなと思ってます。

10年以上かけてやっとアメリカのMPHプログラムで学べている感想は、
「本当にアメリカのMPHプログラムで学ぶのは楽しいな」ということです。

どんなに英語力がなかったとしても
様々な人たちから諦めろと言われたとしても
コネがなかったとしても
金銭的に厳しかったとしても
スタート地点から恵まれていなかったとしても

自分の人生は自分が決めていくことが大事かと思います。

ないなら自分で道を開拓していけばいい、
そのような気持ちでいることが
きっと海外での進学においても大切なことかと思います。

一度きりの人生。
チャレンジする過程は時には
上手くいかず辛くなる時期もありますが
それでも自分さえ逃げなければ
道が開いてくることはある と思ってます。



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