下手くそなりに

周りに影響されて始めようとしたnote。周りnoteしてる人みんなが聞いたことあるような有名な人。プロ決まってる人もいるし高校で大活躍した人達。俺も将来成功するから今誰も知らない状態から始めようと思う
めっちゃ長くなるからよろしく。

自分のTwitter、RTもいいねも全然こない。めっちゃいいね欲しいしRT欲しい。
でも、

本当の無名。

RTもいいねも来るはずない。
みんなまず俺のツイートなんか興味ない。
でもこのnoteで1人でも多くの人に何かを伝えたい。何かはその人が感じるもの批判でも賞賛でもなんでもいい。
なにか感じて欲しい。
感じたらいいねでもRTでもタップして欲しい。
もう一度いうちょっとでも拡散してちょっとでも何かを感じ取ってほしい。全く無名、下手くそ、だからこそ伝える意味があると思う。
上手い人だけではなく下手でもプロ達成してなくても伝えられることはある。だから俺はnoteを書く。でもプロも決まってないし可能性も低いし自分が書く必要があるのかって思う人もいると思う。いや絶対いる。勘違いするなって思われる。
けどそんなの関係ない。俺の人生だから。
1人でも希望を与えられたらと思う。

目標は、

プロになる。
J1で活躍する。
代表なってW杯出場。

中3から思ってるし変わったことはない。

名言

人として生まれたからには、

太平洋のように、

でっかい夢を持つべきだ。

- 坂本龍馬 -

これを見て下手くそでも夢でかく持とうと思った。
サッカーの面では、
選抜にも選ばれたことないし(在日の選抜には何回か呼ばれた)全国大会も出たことない。
めちゃくちゃ下手くそだ。ポジションはボランチだ。ボランチはみんな上手い。チームで1番上手い選手がやるポジションだ。大学レベルまで行ったら、下手なやつなんか本当に見たことない。

多分大学の中で1番下手くそだと思う。
どう下手くそか、どんな人生歩んできたか、ちょっと昔を振り返ってみよう。

小5、恩師に出会う。
サイドハーフの時、恩師が怖すぎてポジションの意味がわからず怒られないように逆サイドにいる子に意味もなくラインを合わせてた。
そのくらい全然サッカーも興味なく、帰ったら手に小さいボールを持って壁当てしてた。
漫画Majorを見て茂野吾郎に憧れてた(今も憧れてる)野球してる時間が楽しかった。
サッカーはしないで野球団は入ろうって真剣に一人で考えてた。

小6、在日(在日朝鮮人)の大会で見事に優勝(当時キャプテン)
その後選抜チーム選ばれない。
↑キャプテンで選ばれないは異例な出来事
優勝時胴上げ忘れられないけどキャプテンで選抜選ばれないのも未だに忘れられない。
それでもサッカーに対する気持ちはそんな強くなかった。
優勝したチームの特典で1週間、朝鮮民主主義人民共和国に行った(日本では北朝鮮🇰🇵と呼ぶが本当の国の名前が朝鮮民主主義人民共和国だ)が初めて20000人くらいの前でサッカーしたあっちのチームと試合をした。めっちゃいい経験だった。今んところ最初で最後の一万越える中でプレー。

中1、最高にサッカーに興味なかった。
朝練なんか出てなかった。なのに出なかったら何故か小学生見てる恩師にくそ怒られたりした。朝練出ろって、なんでもう監督でもないのに言われなきゃダメなのって思ってた。それでも朝練でなかったその度にその恩師にあった。また怒られた。なんでこんなに出てない時だけ会うんだろって。やらなきゃダメなのかなって薄々気づいてた。恩師に稲本になれって言われた。40mロングキック両方蹴れるようになれって言われてやる気出て練習したけど三日坊主。なにしても本当に三日坊主で怠け者だった。
選抜みたいなチームで青森山田の中学とやった。選抜の監督に「お前がサイドバックやったら長友越えられる」と言われてめっちゃやる気出た。0-0めちゃくちゃいい試合。かんちす途中出場最初のプレーでパスミス、失点。試合終了。泣きたかった。いや試合中サッカーやめよって思った。 それでも練習はしなかった。

中2、恩師が中学に来た。朝練毎日3キロ走るの絶対条件。下手すぎて恩師に試合中スタミナあるから陸上部行けって言われたのが忘れられない。サッカー本気でやめるか迷ってた。

中3、またキャプテン
周りの友達の方が上手くてまとめ上げることできなかった。俺がいらない言葉を言ってある日の練習試合キャプテンなのにバス乗っけてもらえずずっと走ってろって言われた。逆算したら8時間。一生走ろうと思った。1時間経過したところ電話きた。電車でダッシュで向かった。
その電車乗ってる時、「俺まじで変わろ」って思ってゲーム大好きな俺が全部アプリ消した。パズドラとか頑張って育ててたけど躊躇なく消せた。人間本当に決心したらやれるんだなって思った。生活から変えてみた。夜更かししかしてなかった。朝も遅刻癖いっぱいあった。全部治った。治したら自然といいプレーできた。
大事な試合で点数決めれた。
生活がサッカーに繋がってるって実感した。
この時プロになって恩師に恩返ししよって思った。

高1、明らかに下手くそなのにコーチから好かれてたか好かれてないかわからないけどずっと試合出てた。(自分でも謎だった)
失敗して怒られるのが嫌だった。でも周りにめっちゃ批判されたりしてた。メンタルやられまくった。何回一人で影に行って泣いてたか。自己啓発、名言見まくった。力出した。それでも全然チャレンジも何もしなかった。でも朝小回り(2キロ)毎日走ってた。常にサッカーノート書いてた(今読み返したら書いて満足してる内容)。
ちょっとでも上手くなろうと頑張ってた。
時間あれば残ってボール蹴った。ちゃんと目的持って蹴ってなかった。でもそういう過程で色んなことを考えるようになった。選手権見に行った。伊藤涼太郎選手(作陽)のプレー見て一瞬で惚れた。こんなプレイヤーになりたいって思った。流経に決めたあのスーパーゴールはおれがサッカー見てきてやってきた中で1番のゴール。来年は選手権でて伊藤涼太郎選手と戦いたいってフクダ電子アリーナで試合見て思ってた

高2、調子良くてちょっとだけトップチームで途中出場で出た時期あった。天狗なってた。
ちょっと他より練習頑張れば試合出れるじゃんって思ってた。
下校時間過ぎても見えないとこでトレーニングしていて、自分やってますよの自己満足に浸ってた。他より筋トレとかやった。あるリーグ戦10人になって出場した。下手くそがばれた。いきなり1番下のチームに落とされて天狗の鼻を折られた。病んだ。中3のとき学んだ生活をちゃんとするがここで崩れた。練習もどうでもよかった。選手権準決勝負けてしまった。その当時のキャプテンの父に「来年は任せた」その一言で火がついた。選手権市船対東福岡を見た、ハイレベルすぎて楽しかった。来年は選手権でてこいつらに勝とうってフクダ電子アリーナで思った。

高3、夏まで見事に試合出れなかった。でも常にスタメン取るのを狙ってた。下校時間過ぎても練習した、練習前みんなと話す時間さえ勿体無いと思い体幹した。見事にあんましちゃんと友達と話した記憶がない。でもスタメンになるためそれでもよかった。学校の昼飯前、梁賢柱と筋トレしてた。
夏にスタメン取った。
調子良かった最高に。その時一回だけ監督に今のチームの調子いいのはお前が走って縁の下の力持ちになってるからだって言われた。
めちゃくちゃ嬉しかった。
いつの間にか試合出てるだけで満足してた結果、選手権準決勝出れなかった。負けた。
泣いた。今までない以上泣いた。泣きまくった
叫んだ、西が丘競技場で関係なしに監督に「ここまで勝ち上がったのはお前のおかげだ」って慰められたけど試合出せよって自分が下手なのに人の責任にしてた。でも、
「俺の輝く場所は大学だ」とか言い聞かせた。
選手権京都橘対市船を見た。岩崎悠人、杉岡大暉など負けたくないと思った。大学で追いついて追い抜こうと思ったし選手権出たかったとフクダ電子アリーナで思った

大1、前期アイリーグほとんど出てた。
その活躍かわからないけど、
トップチームのアミノバイタル杯早稲田戦出場
力の差見せられすぎてびっくりした。
高校の時一緒だった梁賢柱にも点数食らった。
くそ悔しかった。
トップチーム遠征行った、試合出たサイドバックで。あの時の言葉思い出した。「サイドバックだったら長友越えられる」
変な勘違いしてた長友選手もちょうど一年の後期くらいからサイドバックで出始めたと思う。
「これめっちゃ縁じゃん、このままいけるって」くそ勘違いだった。後期始まった瞬間、ベンチにすら入れなかった。

大2、アイリーグでやってたら先輩の累積、怪我で二節にいきなりアンカーで出た。それから半分以上出た。たまに下手すぎてなんで出てるかわからなかった。周りにもなんで出てるのって結構言われた。見とけよ、絶対見返してやるって思って最後の二節調子良くてチームも勝てた。でもコンスタントに活躍できず俺の責任で前期2勝だけ。
それでも自信あった。大一からずっと朝練してきてるし筋トレもしてきた。Twitterで色んな理学療法士さん達の動画見てそれも取り入れたりした。夏休みプロとの試合もあるし後期昇格に向けてもっと成長しよう。と誓った夏休み前だが見事に、
右膝前十字靭帯損傷した。
泣いた。なんでこのタイミング。
でも本物は怪我復帰した後でもすぐ試合出れる
そう思いながらリハビリして復帰した。

残念ながら俺は偽物だった。
でもそのあとくそお世話になった副キャプテン白明哲ヒョンニン(兄)と夜練もずっとした。筋トレもした。色々話した。下手くそだから考えた。

最後の前の物凄く大事な試合、チャンスが来た白明哲ヒョンニンが大2の時変わったきっかけの話を聞いておれもできる「ここで一皮むける」と心に決めアンカーで出たが見事に試合をぶち壊して敗戦した。
コーチに言われた、お前の責任で試合壊れたと。くそ落ち込んだけど最終節に向けてやっていった。だが悪い流れをチームに与えた俺の責任で
東京都二部、降格
誰も予想してなかったと思う。でも負けてて落ち込んでても仕方ない。筋トレした。まだ可能性あると思ってた。上の順位によって大丈夫だと思ってた。仲良い先輩に言われた「自動降格だよ?」。その瞬間、筋トレ終わってずっと落ち込んだ。1週間魂抜けてた。力が入らなかった。周りから「まさか落ちたね」って何百回言われたか。今でもまだ言われる。でももう起こってしまったこと。切り替えよう、また再出発だって思ってる時すぐ迫ってきたJr.リーグ(Aチームのベンチが基本)の決勝トーナメント。

Jr.リーグ、早稲田に勝った。スタメンで出た。
実力差は目に見えてあったが余裕持ってプレーできた。自信ついた。
Jr.リーグ決勝戦、対駒澤、負けた。
ベンチで光景見てた。
あれ?なんでベンチだろう。監督が変わって代理でコーチが監督してた。いや高3の時と一緒だ。人の責任にするのやめよって。

もっと練習しようって思った。人の責任じゃない。全て自分が悪いと。
東京都トーナメントの試合出れなかった。

新人戦↑ピックアッププレイヤーに指定してくれた。だが1試合も出れなかった。また下手くそ実感した。この時出れない焦りと自分の責任で降格させたこと色々重なって変なことばっか考えてプレーしてた。プレーに雑念があった。綺麗にプレーしようとし過ぎてた。

こうやって長い一年が終わる時、
トゥギヒョンニン(安英学ヒョンニンの師匠)が主催する。トゥギ練に参加した。中3の時から毎年参加してる。
(1枚目の下の1番左端が自分、二個横が英学ヒョンニン、真ん中の赤い人がトゥギヒョンニン)

30日、3日と参加した。
おれが足りないものがトゥギ練にはあった。
それは気持ち。中3、高1の時以降忘れてた気持ちの部分をここで思い出させてくれた。
ここの人たちはプロでやってた人もいればサッカー好きな大人、社会人でサッカー、大学生、本当のサッカー好きをトゥギヒョンニンが呼ぶ。参加条件サッカー好きのみ、でもみんな本当に上手い。またここで下手くそなのを実感した。参加してよかった。トゥギヒョンニンに言われた「結局上いくあるやつは気持ちあるやつだよ」いつも面白くてふざけてるトゥギヒョンニンだけどサッカーになったら真剣だ。
気持ちだ。忘れてた物がここにあった。

↑今までサッカーノート、日記色々書いてきた。読み返したら面白い。
今は練習終わった後すぐ思いついたことをかく「思いつきノート」
感じたこと、いいアイディア、いい言葉はすぐiPhoneのメモにメモしてる。

こういう人生を歩んできた。話そうと思ったらもっと話せる。口下手で文が長くなった。

俺は下手くそだ。めっちゃ実感してる。サッカーやめろ、プロ諦めろって1万回は言われてきた自信ある。メンタル弱かった。すぐ諦めようと思った。でも俺は考えた。人より沢山考えた。自信あるしもっとできる。考えることって大事だなってめっちゃ思った。今でも思う。人に沢山助けられた。同志も、プロ目指してるファミリー、同じ学部の同期のサッカー部も、大学入って考え変えてくれたいつも自炊してくれる先輩2人も、1年の時四年で今もプロで活躍してる先輩も、高校から一緒に試合出て大学でも一緒にボール蹴ってる後輩も家族もなんて言っても小6から親友で今アメリカで色んなことをしてる俺の模範であり負けたくないしいつも色んな言葉で援助くれる親友も、色んな人が助けてくれるからこそ自分が成り立ってる。資本主義社会で生きてる今お金のことなど会社の経営、本読んだり色んなことに興味出てきた。楽しみも出てきた(一応経営学部)。だからサッカー諦めて他の道に行こうともした。もう諦めたら楽だ。とも思った。でも親の顔が浮かんだ。応援してくれる友達の顔も浮かんだ。今まで成長させてくれた人もいた。恩師の顔も浮かんだ。あとは心の底から本当にサッカー好きだしそのトッププロになりたいなってまた心の底から思えた。人間やめたい時も出てくる。でもそこは踏ん張りどころそれを越えたらまた1つ強くなる。そういう経験沢山した。もっと沢山したい。成長したい。2年後にはプロ入りを決めたい。決める。こんな強気ではない。周りから見たら自分は弱いし全然考えてないって思われるかもしれない。全然いい。おれの人生。好きなように進ませてもらう。毎日が楽しい。毎日成長できてる。今はひよっこだけど何ヶ月先、何年後かはすごい人間になる。なれる。ここまで見てくれた人希望を与えられたかな?力を与えられたかな?共に頑張ろう👍
届け、俺の想い。





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