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咲かない朝顔

あれは初恋というものだろうか。私がまだ新品のランドセルを背負い、黄色い帽子を被っていた頃の話。


突然、クラスに一人の女の子がやってきた。


彼女の名前も全部覚えているが、仮にUさんとしておこう。このUさん、春に私のいたクラスに転校してきて、夏の終わりにはまた何処かに行ってしまった。そんな短い間だったので、彼女と何か直接話をした覚えはない。しかし、あることがきっかけで彼女のことは鮮明に覚えている。
もちろん、当時はそんなことは考えなかっただろうけど、今思えば、相当の美人だったに違いない。


ある理科の時間に、みんな一人ひとり植木鉢を貸してもらい、家から朝顔の種を持ってきて育てることになった。自分で植物を育てるなんて!当時の私は期待に胸を膨らませ、クラスで一番張り切っていた。


早速、家に帰り朝顔の種を買いに行こうと母にせがんだ。すると、母は落ち着きはらって、「ちょうど良かった」と言って、台所の下の収納庫から種の袋を取り出し、私に手渡した。おそらく、何処かでもらった種だったのだろう。袋の写真は、確かに朝顔のようだった。白い色の朝顔は珍しいと思ったけど、さほど気にはしなかった。


これが悲劇の始まりだった。


次の日、私は先生の言われるとおりにその種を植木鉢に植えた。もっとも、人よりかなり多くの肥料を入れ、私が当時言うところの【強力】に仕上げた。先生が「誰が一番早く、花が咲くかね~」と競争心を煽るようなことを言ったからである。


それから毎日、この植木鉢の置いてあるところに行って朝顔の発育を観察することになっていた。みんなせっせと水をやり、早く出てこい、出てこいと手を合わせた。すると、一週間もしないうちに、他のみんなの朝顔からは同じ形の芽が出てきた。中でも、転校してきたばかりのUさんの朝顔の成長は素晴らしく、クラスで一番大きな花をつけた。


その後、他のみんなの朝顔は申し合わせたように、ピンクやブルーや紫のきれいな花をつけ、その美を競っていた。ただ、私の朝顔だけが花どころか、なかなか芽を出さなかった。


そして、やっと芽が出たと思ったら、やたらに『つる』の伸びるのが早い。すぐに、つるの高さだけは他の朝顔に追いついた。
しかし、朝顔の花は咲かない。よく見ると、少し葉っぱがみんなの朝顔より細長くて弱々しい。何か病気の朝顔なのだと思った。蕾の方は十分大きくなっているのに、花の咲いているところを一度も見ることができなかった。


そうこうしているうちに、Uさんの転校が決まった。私の朝顔が咲いているところをUさんにどうしても見せたかった。このままだと、私のことを『朝顔の咲かなかった人』という印象しか残らないような気がしたから。
そこで、新しい種の植え替えを検討したり、買ってきた朝顔の花を私の植木鉢に入れ替えるなど考えているうちに、Uさんは私の心を散々乱して何処か遠くへ行ってしまった。


その後、この朝顔の発育観察の授業は終わった。そして、私もこの咲かない朝顔のことなどすっかり忘れていたある日のこと。


夕方、学校の校庭で野球をして帰る途中に、なにげなく植木鉢の方を見た。すると、一つの植木鉢だけ、白くてきれいな花がたくさん咲いているのを目にした。朝顔は朝に咲くものと習っていたので、不思議に思って近寄ってみた。なんと、私の植木鉢だった。しかも、花の形が朝顔と違っているのに気がついた。すぐに家に帰り、母にこのことを話した。

そして、ようやく自分が朝顔でなくて夕顔を植えていたことが分かった。

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