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雨が降るなら

二度目の司法試験の失敗を母に告げるときほど、辛い電話はなかった。

母は口では私の司法試験受験に反対して、早く就職するように言っていたが、やはり心の片隅で期待し、大学卒業後も仕送りを続けてくれていた。
その母が不合格の知らせを聞くと、変にさっぱりと
「それなら、就職してもらいましょう」
と言い放った。

声の調子からかなりショックであるのは、電話を通しても容易にわかった。私はその言葉に言い返すこともできず、そのまま受話器を置いた。

一度目の失敗から、生まれ変わったように勉強に打ち込んだ。勉強のためにすべてを犠牲にして、数え切れない過ぎゆく時を耐えてきた。
その結果が、またも足きりだった。

司法試験の予備校のやっている論文模試の成績は割と良かっただけに、悔しかった。今まで合格のことだけ考えてきたので、正に抜け殻のような状態。これから、どうしていいのかさっぱり分からなかった。

机の上には、二年間で作った膨大なノートやファイルが積んであった。自分の将来のことを改めて考えると、どうしてもここで司法試験に合格していなければならなかった。なのに、である。


当時の私には、この道しかないと信じていた。
いろいろな偉人伝の中で、彼らが様々な困難を乗り越え、数々の奇跡に支えられて成功していく生き方なんて自分にはありえないと思った。だから、自分の設定したレールから外れることは耐えられなかった。

司法試験を始めた頃の揺るぎない自信は、全く私の体の中には残っていなかった。あるのは、胸を打ち抜かれたような恐怖感だけ。
私の唯一の味方だった母にも見放され、全くの孤独だった。
どんなに自分の夢が大切でも、このまま司法試験の受験を続けていっていいのだろうか?

外は雨が降っていた。
静かな雨だった。
それをじっと見つめた。

雨って、こんなに悲しかったかなと思った。
子供の頃、外で遊べなくなるこの雨を残念がって眺めていたものだ。
しかし、子供のときの私なら、雨なら雨で部屋の中で楽しく別の遊びを見つけていた。こんなことを思い出していると、
『雨が降るなら、降るに任せてみよう』
とふと思えた。

私の人生が就職しろって言っているのなら、素直にそれに従おう。もう、自分の人生に逆らうのはやめよう。
勇気を持って前進しよう。就職したって、別に死ぬわけではない。私は必ず生き残れるはずだ。勉強も続けようと思ったら、できるはずだ。また、どんな仕事をしていても、頑張ればきっと良かったと思えるときが来る。もうこれ以上、親に心配をかけるわけにはいかない。

就職しよう。
こう決心して、顔を上げてもう一度、静かな雨を見つめた。
その景色は、涙で潤んで見えた。

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