5億年ボタン 過去の下書き

突然ですが、5億年ボタンって知っていますか?

※この話は2021/02/27に書いたものです
少し文がおかしい部分とかは変えたつもりだけど、多分引き続きおかしいとこはあります
あと文章が固くてカッコつけてるけどそれも悪くないなって思ったのでそのままにしてます
とりあえず本当に剣道しんどかったんだな



ある漫画に掲載され話題になった、スイッチを押すと何も無い異空間に飛ばされて5億年過ごせば100万円貰える。


5億年の間は食欲もわかないし、睡眠を取る必要もない。ただ何も無い空間。ただし、意識ははっきりとある。

そのとてつもない5億年という期間を経て、元の世界に戻る時にその5億年過ごした記憶は完全に脳内から消去され、結果としてボタンを押しただけで100万円が貰えたと錯覚してしまう。

この話に関して、少し前まで私はボタンは絶対押さない派"だった"

正確に言うと今なら押そうか押すまいか迷っている(あくまで架空の話だと理解しているが)

過去の私が絶対押さないと断言していた理由としては、今元の世界にいる自分は忘れているとしても、確かに5億年を経験している自分がいるとしたらその自分には絶対耐えられないし嫌だから、だった。

私の友達の間では私の意見に近い形での押さない派と「別に忘れるんだったらよくね?」と今の自分が覚えていないなら別に良いから押すという派できれいにわかれた記憶がある。

その時の私は押す派のことが全く理解できなかった。何故自ら苦しい思いをするのをわかっているのにボタンを押せるのか。正直分からなかった。

じゃあなぜ急にその決意が揺らぎ出したのか。

それは私が今所属している剣道部での練習中の事だった。

その日の稽古はいつもより激しく、体調があんまりすぐれていなかったのも相まっては本当に今まで1番しんどくて辛かった。もう無理辞めたい辛いと本気で思ったし泣いた。

しかしどうだろうか。今は次第にしんどかった記憶も薄れてゆき、今となってはその稽古を頑張って耐えた自分に誇りすら持っている。

あの稽古が辛かったことは紛れもない事実であることは明白である。では何故なのだろうか。

私はこれを考えているうちに1つ思ったことがある。

辛い経験も時間が経てば結果的によいものと思えるのかもしれない。

勿論これは極論である。その練習でトラウマになったり、大きな怪我をしていたりしたら同じことが言えていたかは分からない。

でも一つだけ言えるのは、結果その稽古が私にとっていい経験になったのは確かである。

では何故5億年ボタンが関係あるのか?

それは結果と過程において、本質的にはこの稽古と5億年ボタンの話もそんなに変わらないと思ったからだ。

辛い経験を経て、結果今幸福になる。
その幸福を得るためにあなたは辛い経験を選ぶのか。

5億年ボタンでそんなことを問われているのかなと私は考えた。

尚且つ、5億年ボタンではご親切に記憶まで消してくれる。こんなにいい条件は無いのではないか。

結果良ければ全て良しではないが、結果的には幸福を得られるのならありかもしれないと思い始めるきっかけとなった話だった。

今の私なら、今の自分のために過去の自分を犠牲にする(というと言い方悪いが)のも悪くはない。そう思った。

今この瞬間を生きれるのは今の私だけ。過去も未来も関係ない。だから、今この瞬間幸せになるためなら少し前の過去なんて気にすることない。そう考えた。

この話に繋がる話で"やりたいことのためにもやりたくないことをやる" "結果良ければ全て良し?" ということについても書きたいと思っている。

基本的今の私は更新し続けているつもりなのでもしかしたら明日にも数年後にもこの考えが変わるかもしれない。

でもそういうのも含めて考えることをやめたくないなと思う。

最後まで見てくださってありがとうございます。

こんな感じで日々思い考えたことを書いていくので気楽な気持ちで見てくれたら嬉しいです。

思い立ったらそのまますぐ書いてしまうので、矛盾しているところなど多々あると思いますが、ご了承ください。

あなたは5億年ボタンを押しますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?