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私が"発信"するコアの理由について

すこしnote記事がご無沙汰になっていました。
いま、私のWorkやLifeのスタイルをいまゴチャゴチャと変化させている最中でして、「発信」におけるスタンスをどのようにしていこうか考えているところなのです。

まだ発信のコンセプトが明確に定まっていないため、ペースがスローダウンしている、といった状況です。

まだ考えを熟成中ですが、「発信を辞める」という結論にはならない予定です。
誰に向けて、どんなことを発信しようか?
今はそこを考えているフェイズですので、どうぞご容赦のほどを。

発信の抽象化ポイント

2021年からNFT、Web3をテーマとして情報発信をしてきましたが、私としてはそれらは発信のネタの1つに過ぎないという位置づけです。

発信したいコト、伝えたいコトの本質はもっと大きなレイヤーにあって、
・より自由で幸福な生き方の探求
というところにあります。

そのためのライフスタイルを、自分自身で色々と探求しつつ、考えや知見をみなさんに共有していく。

ぼくが発信をする根底にはそんな想いがあります。

住みかた、暮らし方、生き方

僕個人の動きとしては、Web3の山へ登っていたら、山頂付近の途中で開けた場所があり、ワープホールを潜ったらWeb0の草原だった。
そんなイメージを持っています。

画像引用

草原にはお年寄りが多く、Web3山には若い者達がこぞって山登りしている。
だが、全然違う山に登って喜んでいる者、のぼった側から遭難してしまう者、山から蹴落とされてしまう者、色々です。

あぁ大変大変。

でもですねぇ~ちょっと引いて見てみると、Web3山もWeb0草原も、おんなじ地球の上で隣接して、ちょこんと存在してるだけなんですよねぇ。

そんな感じのイメージで見つめていると、なんだか狭い世界で争い合ってる人間同士はバカみたいだし、草原のダイヤモンドを見逃して山の頂上めがけて猛ダッシュしてボロボロになってる人も……なんだかねぇ。

現代こそ尊ばれるべき"視野"の大切さ

視野は広ければ広いほどよいし、視座は高ければ高いほどよいものです。
狭く低い部分しか見えなければ、つまり全体を見ずに一部分の点しか見えない人は、常に誰かに利用されるし、それは幸福とは言えない。

まぁ、奴隷?歯車?ペット?色々言い方あるけども。気持ちのいいもンじゃないですね。

だからこそ、いつも全体を広く見て、自分のことを冷静に俯瞰しつつ行動を決定して生きていくのが良いだろうと思ってますね僕は。


住む(からの脱却)

人間ってのは「住む」っていう行為がそもそも合って無いなんて指摘する科学者もいますね。
人類は昔は遊牧民族だった。かなーり昔のあるポイントで、定住をしはじめたわけで、「定住」つまり「住む」というライフスタイルにシフトしたからこそいまの文明があるわけです。
が、そもそもそれが人間に合って無いかもねって指摘されてる。

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