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連休後半に抱く、焦りと後悔の振り返り

2021年GW後半。
連休に、家族行事に埋め尽くされすぎることもなく、自分の時間もしっかり持てて、2~3日経った頃にしばしば起きる問題。それが、”時間を浪費してしまった後悔” である。

回り道だって人生の道、道草にしか出会えない感動がある。というのが、僕の人生のモットーではある。こうして毎度、”後悔" というある種の感動に出会っている訳だが、これはなるべく距離を置いていたいタイプの感動だろう。再発を避けるためにも、少し振返ってみたい。

先にここに書いておくと、このノートの結論は、こうして記録しておくことが、この後悔を回避して、次に少しでも前進するための対策。ということ。また忘れるから、次の連休という自分の時間のカタマリの好機が訪れる前に、記録しておこうという話。以下の雑記の終わりに、そういう結論が導かれている訳でもないけども、一応、そういう意図で、これを書いている。

--- 以下雑記。
まず何をして過ごして、こうした後悔を感じているか。以下のようなことに思いを馳せ、ネット上でアカウントを作ったり目標を立てたりした。
1)貯金を一部、米国株へ投資することを始めた。また、暗号資産の口座を開き、ビットコインへの投資体制を構築した。但し、今はビットコインのバブル感があり、自分もその熱にあてられている感じがあるので、1~2月ほど様子を見ることにした。
2)クラウドワークスに登録して、小遣い稼ぎをする体制も作った。今年中に通算で数千円くらいは収入になる取組みをしてみようと思っている。
3)虫を採って食う。というワイルドな思想への目標も立てた。食べられる虫ハンドブックなる本を購入し、夏にセミ、秋にバッタの順にチャレンジしてやろう。という目標を立てた。嫁・子供の家族はこの行動に引くのか、乗ってくるのか。引かれそうだ。
4)ゴルフ上達も急務である。十日後に迫った社内ゴルフ大会に対して、十分な対策状況にない。この連休は、YouTubeでゴルフ練習方法を見ては近所の打ちっ放しで数十打、という活動を日課にしている。

なぜ後悔を感じているか。それは前進を感じないからだ。
新しい発想に出会ったようで、我に返れば、これまでにも抱いた興味をなぞる様なネットサーフィンと小さな行動やメモをしたに過ぎず、具体的な行動も起こしていないし、計画だって立ててない。おぼろげに、今年の夏にはこうしよう。という思いを抱いた。抱いたものの、明日からまた始まる仕事の渦に吞み込まれて、どうせ何もかも忘れていくだろう。という諦観の念がある。

こうして僕は、自分の心に灯した興味や意欲の思いを忘れて、1年後や2年後、あるいは数年後か。ふとまとまった時間が取れた頃にまたこの地点に戻ってくる。そしてまた後悔する。
繰り返していければまだよい。それは、自分の時間がそのときある程度は持てたということだ。二度とこの地点には戻ってこれないかもしれない。今にも、仕事側の自分が、ほら明日から仕事だ、今すぐ動かないと!と休日側の自分を急かしている。仕事側の自分に従って、会社のメールを開きだしたら今の自分にはもう二度と会えないかも知れない。

高校や大学のときは、与えられる余暇のカタマリが大きかった。週単位の時間があった。2週間も3週間も休みがある。あちこち考えが彷徨っても、なんらか至れる行動の落としどころがあったように思う。現状の細切れの余暇ではそこに辿り着けない。じゃあ仕事やめちゃえば、という話にもなるが、まずそんなことはできないし、コトはそう単純でもない。

そもそも、若いころは成果と感じる到達点が容易だったかもしれない。友達となんらか、BBQや泊りがけの旅行、フットサル大会への参加など、まともなイベントの一つも過ごせば、この夏は充実していた。といった具合に、時間がいくらでもある立場からの低い視座だったようにも思う。

妻子もあり家族も得て、課長に昇進して、今度マイホームを建てる。そんな僕は、この立場を継続していくため、新しい仕事のポジションに四苦八苦している。起業もしてみたいし、息子たちと男同士でキャンプや銭湯などの充実した時間も過ごしたい。親も元気なうちに孝行したい。あれこれ思うが、結局どれを?というところで、決断も時間もお金も、すべてが煮え切らないで、一歩が踏み出しきれない。

今年は転勤、昇進、マイホーム、と既に出来事が目白押しなので、この状態を落ち着けるのが第一なのだろう。とも思う。一方で、こんな感じで毎年なにかしらあるだろうから、油断せずにこの多忙な中でも、ちょいちょい畳み込んで行かないと、僕はこのアラフォーからの人生の激流に流されるばかりだ。騙されてたまるか。とも思う。真実は見えない。今日も足掻く。

雑記終わり。


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