鉛筆すげえ
「いっぽう、ロシアは鉛筆をつかった」たぐいの話ではありませぬ。
世の中がどんどん便利になってきて
物質的にも考え方的にもいつの間にか「あたりまえ」が以前とちがってきている。
ふと思い出すと、現在じぶんが当たり前のように使っているものや考え方、仕事の進めかたなどは、以前はなかり革新的だったりした。
若い世代にいたっては「それがあたりまえ」の状態で生まれ育ってきたのだなと気がついてガクゼンとすることがある。
昔をふりかえって「以前はこうだったなあ」としみじみするのは年寄の懐古趣味、年を取ってきた証拠なのだろうがそれにしてもやはり振り返ると、便利になったよなあとか、考え方がかわってきてありがたいなあと感じるものがそこここにゴロゴロある。
さいきんなぜかよく考えるのが
「間違ってもいいのだよ、という考え方が一般的になってきたこと」。
もちろんまだまだ失敗が許されない会社であったりコミュニティはあるだろうけれど
社会全体として「間違いは許されない、一発百中であるべきである」って頃からだいぶ変わってきたと思う。
「ひとは間違うものだから」前提なところが増えてきた。
これをつらつらトイレでぼんやり考えていたら、ハタと思いついた。
「そうか、昔は紙は貴重品で、墨でペンでものを書いたら間違うわけにはいかなかったから、『間違えたらあかん』が厳然とまかり通っていたのか」と。
「いまはソフトで書類や申請書など簡単に作れるし、間違いも直せる。デジタルネイティブにとっては『ぐだぐだ言っとらんで、さっさと修正すれだけばいいじゃん』てのが自然なんだろうな。人間は長いこと、『間違うわけにはいかない』状態で書いていたわけだ(まあ、石板や紙などは削ったりしてたみたいだけど)そして、鉛筆で書いたらこれが消せるわけだ!とんでもない福音だな。そう考えると鉛筆考えたひとって天才だな!」
という、なんのオチもない鉛筆礼賛話なのでした。
ふだんの書き物、自分はボールペンや万年筆つかってるけど。
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