腕時計と終人
妻の腕時計に興味津々だった息子にスタンダードをプレゼントした、安物だけど大切に使って欲しい。
自分の母親は何か不満があると直ぐ物を投げ、罵詈雑言を吐き、子どもを平気で叩くタイプの終人(おわりんちゅ)だった。
何故そんな事が起きたか詳細は覚えていないけれど、低学年の頃に母の地雷を両足で踏み抜き、大切にしていた腕時計のバンドをハサミで切られた事がある。ハワイかグアムで買って貰ったTIMEXのカラフルなキッズ腕時計、自室の机上の宝物置き場に常に置いて、お出掛けの時には必ず着けていた。勿論超絶トラウマになった。ゴーヤもびっくりの苦い思い出。3ピースに分かれた無惨な腕時計。あーこの人は頭おかしいなって子どもながらに普通に思ったし、此奴の様には成るまいと明確に意識した。
スーパーで買い物をして無人レジでお会計。息子がレシートの出口を手で塞ぎ、用紙が詰まりエラーになった。店員さんが来て対応してくれた。意図してイタズラをし他人に迷惑をかけた息子の頭を咄嗟に叩きそうになり、一瞬迷い、手を下ろした。暴力で解決する問題など無いという理性に加え、周りが見たらどう思うか(子育てや買い出しを日頃からやっていない不慣れな父親なのかな?パパごっこですか?買い物ひとつ出来ないのかしら?という被害妄想)も脳裏に浮かび、堪える。そして絶句する。
選択肢の中に、確実に“暴力”という引き出しが存在している。物を投げる、罵詈雑言、暴力という自分の受けた経験をそのまま子どもに教える可能性がある。自分の親は衝動的に他人を攻撃していた気がする。あまりにも非合理で理不尽な腕時計カット事件。子どもに手を挙げそうになる度に親を思い出し、理性で抑え込む。「言葉で伝える」の隣に「叩いて伝える」という選択肢が出てくる自分が恥ずかしくて仕方ない。自戒する。
息子はこの腕時計を、学習机の上に大切に飾っている。腕に着けては「みてみて」「カッコいい」と自慢してくれる。いつか自分の子どもに腕時計を買う日が来るだろうなと思っていた。息子が嬉しそうに腕時計を見せてくれる姿を見て、この腕時計のバンドを切ってやろう!なんて微塵も思わないし、親のやり方は明らかに間違っていたと再認識した。
自分は今後、絶対に終人(おわりんちゅ)には成るまいと改めてここに宣言する。