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13年間曲が作れなかった独学DTMerが曲を完成させるまでの歩みを語ってみた

作曲を始めたものの曲ができなくて、13年間、
ただの一曲も完成させられなかった過去を持つ
ダサメロンパンです。

今日は、そんな僕がどうやってそんな状態を脱出し、
曲を完成させることができたのか、
その軌跡について自分の半生を紐解きながらお話したいと思います。

正直、自分の失敗談を語るのは恥ずかしいですが、
同じように悩んでいる人に勇気を与えられたら、
と思って思い切って公開します。

「才能なんてなくても、曲は作れるんだな」
と思っていただけたら嬉しいです。

お気軽に読んでみてください!

1.音楽との出会い

僕が音楽と出会ったのは中学生の頃です。

それまで、ピアノやギターなどの楽器が身近になかったため、
音楽には興味がありませんでした。

そんな僕が音楽を好きになったのは、
5才上の兄の影響です。

当時はバンドブームの真っ只中。
兄は、ブルーハーツや、X JAPAN、長渕剛
などの曲をよく聞いていたので、兄と一緒に音楽を聞くうち、
次第に僕も好きになりました。

中学校のときはXJAPANやTMネットワークの楽曲をよく聞いていましたね。

ただ、その頃、
まだ音楽を演奏することには興味がありませんでした。

そんな自分の認識が変わったのは、音楽の先生に誘われ
合唱部に掛け持ちで入部したあとです。

練習を重ね、声が合わさったときの、一体になる感覚を味わううち、徐々に、歌を歌うことの楽しさに目覚めていきました。

そして、高校に入った僕は、そんな感動をまた味わいたいと、
合唱部に入りました。

2.ギターとの出会い

合唱部に入り、そこで出会ったのが、ギターです。

夏の大会に向けて、合宿をすることになりました。

その宿舎に部活の先輩がアコースティックギターを持ち込み、
目の前で尾崎豊の曲を弾き語りするのを見て、衝撃を受けました。

それがきっかけで、ギターに憧れを抱くようになったんですね。

今思えば、ベタなきっかけですね(笑)
とても感動したのを覚えています。

とはいえ、楽器など身近になかったため、
いきなりギターを買うような冒険はできません。

そこで、音楽室においてあったギターを休憩時間や使わせてもらい練習するようになりました。

当時ネットもなかったので、ギターの教則本を買ってきて勉強しました。

教えてくれる人もなかったので、苦労しましたが、いくつかのコードやコードストロークのパターンを覚え、曲を初めて弾けるようになったときの感動をよく覚えています。

その頃好きだったアーティスト
・ミスチル
・スピッツ
・サイモン&ガーファンクル
・奥田民生
・ラルクアンシエル

今思えば、もっと教えてもらえばもっと早く上達できたのに、と思います。

当時から僕はとにかく人に頼るのが苦手で、人から物事を教えてもらう、という概念がなかったんですね(汗)

その後、ギターを弾きながら歌を歌うことができるようになり、
「ゲッカヨ」という、分厚い辞書のようなコード譜が掲載された書籍を購入し、片っ端から曲を弾いていく、という遊びを楽しんでいました。

ゲッカヨのイメージ(現在は休刊になっています)

そして、いよいよ初めてのギターを買おう、と決意するようになりました。

ギターを始めるときに悩むことの一つが、
エレキギターを選ぶか、アコースティックギターを選ぶのか、
ではないでしょうか。

ここで僕が選んだのは、エレキギターです。

アコギよりエレキのほうが弦が細く、練習しやすいのでは?と思ったことが理由の1つ目、アコギのほうが音が大きく、周りに迷惑をかけるのでは?と思ったのが2つ目の理由です。

当時住んでいた町にあった楽器店は、今思えば、全くそんなことはないのでしょうが、なんとなく初心者お断りの雰囲気があり、とても入りにくかったのを覚えています。

相談するのも怖かったのですが、なんとか勇気を出して、
当時のYAMAHAの入門用のギターセットを購入しました。

ついにマイギターをゲットした僕は、
ますます音楽に没頭していくのでした。


以上、僕が音楽を好きになり、
ギターを弾けるようになるまでの経緯を述べてきました。

有名なアーティストのインタビューなら、ここから作曲に興味を持ち出して。。。

と話が展開していくのでしょうが、
僕の場合は全くこの段階では作曲のさの字も出てきませんね。

では、そんな僕が、どうして作曲をやろうと思うようになったのか、
については次回以降でお話していきます。

続きはこちら↓

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