発表を半日早く書くことの意味

 匿名でツイートをしている記者「でぃかまい」さんが、「新元号スクープに大した意味などない」と題した3月31日付けのブログに、こんなことを書いていた。

「どうせ警察が発表することを半日早く書くことにどれだけの意味があるのか」
私も10年以上記者をして、何度も警察取材をしてきた。そのときどきに考え、いろんな答えに到達しては、また考え直して別の答えに至るなどしてきた。
ほぼ固まったかな、と思う自分の答えはこうだ。
「意味はある。ただし、その意味は知る権利云々ではなく、社内評価、そして他社との競争で勝つという意味。どうせ報じるなら、早いほうが良い。その程度」

http://kaliwa.blog46.fc2.com/blog-entry-152.html

 これ、でぃかまいさんに限らず、ちょくちょく耳にする主張だ。
 新聞の朝刊では、「きょう逮捕へ」「きょう辞任へ」「きょう発表へ」といった記事が1面トップを飾ることがある。
 元朝日新聞記者(ちなみに私と同期入社)で、「ワセダクロニクル」編集長の渡辺周さんもこんな発言を「クーリエ・ジャポン」でしている。

 「日本のジャーナリズムでの『スクープ』とは、政府高官から、明日の予定を今日教えてもらうことに過ぎないのです」

https://courrier.jp/news/archives/72431/

 お二人ともジャーナリズムに対して真摯に向き合っている。その思いはよくわかる。
 でも、私はちょっと違う考え方をしている。

 「きょう逮捕へ」という記事は、目的ではなく、経過だ。
 権力を監視するなかで生まれる副産物だ、と言ってもいい。

 権力の監視は、報道機関が存在する理由の一つだ。
 と言うといかにもエラソーに聞こえるかもしれないが、しかし、権力って恐いのだ。
 たとえば、警察がその気になれば、人を逮捕することなど造作もない。勝手にすっ転んで「転ばされました」と言えば公務執行妨害の罪に問うことができる。カッターを持っていれば銃刀法違反だ。
 日本には30万人近い警察官がいる。それだけいれば、ちょっとおかしな人も必ずいる。
 議員の数は3万3000人に上るそうだ。
 そういう、力を持った人たちがおかしなことをしないか、きちんと見張っておくのは割と大事なことだ。
 「見張られてるな」と思ったら、無茶はできない。

 で、じゃあ権力をどう監視するのか。
 表に出ていることだけを見て評論していたら、監視はできない。
 悪いことは隠れてするものだ。
 情報公開請求をしても、ヤバイ部分は墨塗りにされる。
 そもそも文書自体が改変されてしまうこともあることが、最近わかったところだ。
 (財務省の文書改竄のことを言っています)

 私もかつて、警察担当をしていた。
 とは言え、事件取材をゴリゴリやっていたのはもう10年以上前。警察の動き方がそう変わったとも思えないが、そこは差っ引いてもらいたい。
 私が担当したのは愛知県警の捜査1課。殺人、強盗、放火といった犯罪を扱う。
 常に事件が起きているわけではない。暇な時はどうしていたか。
 県内の警察署をまわり、駐車場の様子を見ていた。

 捜査1課で殺人事件を担当するのは強行班だ。
 愛知県警には当時、ぜんぶで6班あった。
 各班が移動や捜査に使う乗用車を持っていた。「班車」と呼んでいた。
 警察署へのあいさつがてら、駐車場に班車がないか確認するのだ。

 どの警察も未解決事件を抱えている。
 重大事件の場合、起きた場所にある警察署に捜査本部が置かれている。
 班車があれば、いま強行○班はあの事件を捜査しているんだな、というのがわかる。
 あれ、特にこの署は重大な未解決事件なかったけどな……という場合は、まだ世に知られていない重大事件の現場ということもある。
 そうやって取材の端緒につなげる。

 要するに、本当に言葉通りの意味で監視する。
 政治部には首相番の記者がいて、首相の尻を24時間追いかける。権力の監視ってそういうことだ。
 カルロス・ゴーン氏が東京地検特捜部の待ち受ける羽田空港に降り立った場面を捕捉できたのも、おそらくは検察監視の延長線上にある。(この件、私は経緯をまったく知りませんのであしからず)

 「班車観察」は単なる一例。警察担当記者は、いま警察がどんな動きをしているのか、様々な手法でその把握に努める。
 そういう取材の積み重ねの中で、○班はあす勝負を賭けに行くんだな、ということがわかる。
 それが「きょう強制捜査」や「きょう家宅捜索」だ。
 自慢じゃないが私は名古屋社会部時代、社内の「特ダネを書いたで賞」を大小16本もらっている。だが、警察幹部からプレゼントされたネタは1本もない。

 警察にとって都合の悪い話もいろいろ書いた。
 2007年8月、男3人が通りかかった女性を車の中に押し込み、殺害して金を奪うという凄惨な事件があった。男らが知り合った経緯から「闇サイト殺人事件」とも呼ばれている。
 実は、もう1人仲間がいた。この「第4の男」は強盗殺人の計画を事前に3人と話し合ったが、参加しなかった。だが、3人のうちの1人とともに別の事務所荒らし事件を起こし、この第4の男だけが逮捕されていた。強盗殺人事件はこの後で起きた。警察は発表しなかった。
 時系列だけで見ると、警察は「強盗殺人の計画を知っている男を、事件が起きる前に逮捕していた」ということになる。記事が出たことで、逮捕の4日後になって発表した。
 これは、まさに組織としての警察の動きを観察していたからこそ打てたスクープだったと思う。

 同じ年の6月、大相撲の若手力士が、「かわいがり」と称する暴行で亡くなった。地元署は遺体から事件性の有無を調べる検視官を呼ばず、病死だと誤った判断をしていた。これを報じた。
 この問題がきっかけとなり、警察は全国的に検視官の数を大幅に増やした。きっと、闇に葬られる事件の数は減ったと思う。
 この事件で私は、部屋の親方を「傷害致死容疑で立件へ」という特ダネも書いている。これは、いわゆる「元旦スクープ」になった。検視を怠ったことを暴露した記事の方がはるかに大きな意味があったと自分では思っているが、いずれにせよ、どちらも同じ仕事の中から出たものだ。

 でぃかまいさんは「新元号スクープに大した意味などない」という。
 結果的に、新元号を事前に報じることができた社はなかった。
 安倍首相や菅官房長官は発表の会見で、令和以外に候補になった元号については、その数も含めて明らかにしなかった。
 翌4月2日、朝刊で朝日が全6案のうち5案を特報。続く夕刊では各紙が全6案を報じた。

 これも、スクープ自体は取材経過の切り取りに過ぎない。
 肝心なのは、どんな候補が挙がり、なぜ令和に決まったのか、誰かが自分の意見を無理に押し通さなかったか、元号を私利私欲のために使うようなことはないかという、選考プロセスの監視だ。そして、そういう記事を各紙が掲載した。
 ネットでは首相が元号に自分の名字から「安」という字をねじ込むなどと根拠もなく憤る人たちがいたが、これもデマだったことがはっきりした。
 まさに「国民の知る権利のため」になったことだろう。

 もっとも、でぃかまいさんや渡辺周さんの言いたいこともよくわかる。
 こういう取材はなにせしんどいし、頭も使う。精神力(根性と言い換えてもいい)も必要になる。
 ずっと効率のいいやり方もあって、捜査情報を握っている人、たとえば捜査1課長から全部聞き出すことができれば、わざわざ靴底を減らさなくてもいい。
 おべっかを使って忠犬ポチになり、情報を取るタイプの記者というのも、いる。
 そんなやり方に何の意味もないというのは私も同感だ。権力にかしずく手法自体に虫唾が走るが、何よりその手法では、経過がわからない。聞けたとしても、取材対象者のバイアスがかかったものにしかならない。
 凸凹警察署の前に何日何時、強行○班の班車が止まっていたというのは、混じりっけのないファクトだ。

 令和に関して言えば、捜査1課長に当たるのは首相や官房長官だろう。
 ところが、日ごろ政権に忠誠を誓っているように見えるメディアから、「令和」のスクープは出なかった。
 むしろ6原案で朝日が先んじたのは、何やら象徴的ではないですか。

 ただ、従来型のスクープについては、まったく別の意味で「限界がきている」と私も考えている。これについては稿を改めます。

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