甲状腺がん オペまでの道のり②
前章①で甲状腺がん発覚までの道のりについて↓
私の乳がん検診のついでの無料甲状腺がん検診で良性ポリープとの診断結果で、その後すっかり実は忘れていて数年放置。
理由は仕事や子育てが多忙。検査も大枚はたいて大したこと無かったし、頭からすっかり消えていた。
私でも運転できる違うクリニックをママ友との会話の中から教えてもらって気軽な気持ちで、そろそろまた受診みるか・・と受診↓
そこでは、やはりポリープらしきものが何個かあり、前回の時のものとは、違う形と様相だと告げられた😂それでも、そこまで気にもせずに細胞の検査へ。まだ小さすぎて、失敗するのも悪いからと月一、来られる大学病院の名医が細胞を採取することに。そして、結果が仕事も重なり、三ヶ月かかることとなった結果の日(ここまで前回のあらすじ)
大学病院の権威からの検査結果
そのドクターは、俳優の役所広司にとても似ている雰囲気だった。
私はアホなので検査結果も極めて怪しいガン間違いないと思う
シチュエーションだったが、そのドクターの雰囲気や声に
胸キュンになってしまった。
※その後もずっとそのドクターに会うために半日待合室で待ってたった一分の逢瀬もオペが終わる頃まで楽しみで苦にならなかったのは幸いなことだった。
私は、自分にないものねだりで、たいてい賢くて物静かにお話しになる穏やかそうな人に弱かった(-_-)zzz
ドクターは、ジョークを言う感じの先生ではなくて、きわめて
真剣な眼差しで(当たり前だけど)
ドクターいはく↓↓
「一人で来たの?」
私↓↓
「はい」
ドクターの顔がマジで?って、そこにすごく驚かれていた様子だった。
(え?一人で聞きに来るパターンは、あかんの?
もしかしてドラマでやってた癌告知シーンってこと?)
もう一人の私が私にささやいた。
いつも一人!
出産のときだって、手のひらを切開するための通院も帰り路には
まだ麻酔が切れてないので病院のスタッフが
「自分で運転して帰るのですか」と驚かれるほどだ。
二回とも手の平のオペの時、車で片道一時間の道を一人で
運転していったもん。
その日も夫に言っては、出てきたけど、いつも
私の話すすべてのことに、目を見てうなずくとか興味を示すなど
いう会話は、ここ三十年皆無に等しいので夫の頭には全く
私が今日、ここの病院にきていることさえ、まったく頭にないはず。
そんな夫婦関係だなんて言えないし、恥ずかしいのでひたすら
黙って下を向いた。
ドクター ↓↓
「検査結果なんだけどね・・」 とめちゃくちゃイケメンと渋い声で切
り出した。
※お願いだから溜めないで早く言ってよ~と心の声( 一一)
ドクター↓↓
「結果は、残念ながらね。悪性の癌なんだよね。ただまだ六ミリ
くらいでね。一生悪さをしない人もいるのよね。稀に。それでもなんとも
こればかりは言えないのよねぇ~。で、手術はいつにしましょうかね?」
私ってこういう時には、逆に過呼吸にならないんだと、今にして
不思議だけど。
HSPだけど、自分の命に関することとか、病気に関することには
平静だった。
スピリチュアル的な視点からは、数秘術⑨の人だから?
何回も転生しているらしい。ただ、その時には、そんな知識もなかった
けど、きっとこれが息子や父母や弟妹の癌告知だったら絶対、過呼吸に
なっていたのは必至だと思った。
私
「実は、下の二人の子どもが今年はダブル受験なんで春は
とてもじゃないけど、入院とか考えられないです」
ドクター
「今すぐじゃなくても良いんだよ。ただずっと置いておくことは
できないから定期的にそれなら見て行こうかね。」
そんな感じでとりあえずと、それから大学病院には半年周期で
受診し、がん細胞の大きさは定期的にエコーをしてみていくことと
なった。
私は多分、一生、ここに半年おきにきて温存していくということに
なるんだろうなぁ。という確信に似たものをその時は、感じるほど
とても冷静に診察室をあとにした。(あ~良かった)
それから二年ほどは、誰からも何を心配されるわけもなく、気にする
訳もなく、半年おきの診察をこなしていくこととなったであった。
つづく
一
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