季語体験「芝焼く」岡山後楽園にて
2024年2月7日(水)の午後、半日有休をとった。週のど真ん中に有休をとるのは、平凡に生きる会社員としては非常に目立つ行為だが、イベントがあるのは何かと水曜日である。同僚は僕が県外の大学に俳句の授業に行ったり、東京のベストドレッサー賞のパーティーに参加しているとは夢にも思わないだろう。人には誰でも秘密がある。
岡山後楽園について
この日はなんということはなく、地元、岡山後楽園の芝焼を見学した。俳句を始めてから後楽園の芝焼があることを知って、一度見に行きたかった。いや、正直を言えば、どこか新聞やニュースで子どもの頃から見かけていたのだろうが、あまり意識していなかったのだ。季節の移り変わりに人間がすこし手を加えるという匙加減が面白い。後楽園はその気になれば毎週末でも訪れることができる距離のため、友人の庭のように自然の変化をつぶさに観察することができる。
後楽園は日本三名園の一つだけあって、十五世紀末に完成して以来、能舞台、馬場、弓場、蓮池、梅林、茶畑などを擁し、丹頂鶴の放鳥や茶つみ祭や菊花大会など、折々の年中行事を催している日本文化の塊のような園である。
兼六園、偕楽園を含む三大名園で最も広いという敷地面積は約40,000坪で、芝生の面積は5,500坪もある。東京ドームの芝生面積と比較すると1.4倍である。全部は焼かないにしてもスケールが大きい。
季語として
俳句で「芝焼く」「芝焼」「芝火」は初春の季語。
他にも「山焼く」「野焼く」「畑焼く」「畦焼く」「堤焼く」などの季語があり、日本人は縄文時代より初春に様々なものを焼きまくっている。
山焼では奈良の若草山、伊豆の大室山が有名だ。野焼では秋吉台、阿蘇など。山焼や野焼はともかく、芝焼は本来はもっとスケールが小さいはずだ。例句を見ると、庭の芝を焼いている景もある。季語の「芝焼」とはすこし趣が異なり、後楽園の場合は「野焼」に近いのかもしれない。
下記は例句である。
ちょっと面白いのが最後の二句。石田波郷と石田あき子は夫婦だ。詠んだ時期が違うのかもしれないが、二人の性格の違いが見て取れる。あき子は結核で入退院を繰り返す夫を支え続けたという。
見舞はねば夢に来る夫星祭 石田あき子
百合根煮て冬日のごとき妻たらむ 同
閑話休題。
焼き入れ
午後1時より開始予定。職場を出て近道しようと道に迷い(地元なのに……)5分前に入園。既に数百人の人集りができていた。テレビ局も取材に来ているらしく、カメラマンやマイクを片手に持ったレポーターもうろうろしている。
いよいよかというときに曇天より、ぱらぱらと小雨が降ってきた。芝焼は風が強くても、前日や当日に雨か雪が降っても中止になる。延期になると別の平日になってしまうが、その日は仕事を休めないのでちょっとはらはらする。
どうやって芝生に火をつけるのか考えていなかったが、松明を箒にしたような専用の道具を持った職員が、芝生の外縁をなぞりながら歩いて行く。
野焼に近いスケールかと思ったが、炎が低いので近くで見てもすこしも恐怖を感じない。先掲の例句の「金色の寸に満たぬ」(一寸は約3cm)とは正にこのこと。野焼だと草丈がそこそこあるだろうから、炎ももっと高いはずだ。
他の入園者の話では、例年より燃え広がる速度が遅いらしい。小雨で芝が濡れているからだ。これは時間がかかりそうだ、と言うが。
あっという間にこの様相である。最初の区画が全て燃える前に、次の区画にも火が入る。
煙が上昇気流となって竜巻状になった。辰年なので縁起がいいとみんな騒ぎ立てる。いかにも昇竜という感じ。俺は来年辰年なんだと嬉しそうに言っていた年配の男性は、この後地元のテレビの取材でインタビューされていた。
良いコメントするなと思って聞いていた女性もインタビューがオンエアされていた。ちなみにちょうど僕が映っていて、角度的にものすごく邪魔でした。ごめんなさい。
消防団の皆さんも待機。岡山後楽園は池泉回遊式庭園なので、水は取り放題である。ちなみに後方に見える高さ6mの築山の「唯心山」は見晴らしがよく、この後登ってみた。
テレビ局のインタビューに答える職員の話にずっと耳を澄ませていた。害虫はいわゆる夏の季語「夜盗虫」で、野菜などの根を噛み切ってしまうが、芝も同様の被害に遭うようだ。野菜と違って芝なんて栄養がなさそうだが、イネ科以外のほとんどの植物を食害するらしい。
これだけ燃やしても、土の中に潜っているものもいるので全部は死なないそうである。上が炎上してたら地中も相当熱いだろうな。
4月には真っ青な芝が広がるそうだ。生え替わってから見に行ってもいいが、途中の末黒野に下萌しているところも見に行きたい。
芝焼の道具
この箒は「松明」と呼ばれているらしい。真ん中に白い帯状の布が仕込まれていて、灯油を染みこませているそうだ。ここだけが燃えるのだ。職員によって上手い人と下手な人がいたが、この帯が捻れると、上手く芝に火がつかないのではないだろうか。
使い終わるとご覧の通り焦げてしまうので、使い捨てかもしれない。
芝焼中止
雨が強くなって傘が必要なくらいになってきた。場内にアナウンスが流れ、芝焼の中止が決まった。それでも3区画くらい焼き、充分に堪能したので満足である。
延期はあっても、こんなに半端な状態で中止することはあまりなさそうだ。珍しいものを見たかもしれない。
茶摘み体験に申し込みたいと思っているので茶畑の様子などを観察して帰路についた。梅林も見頃が近い。
おまけ
真ん中の部分は芝を刈ってあるので堰になり、それ以上燃え広がらない。
このように奥に松があるからだろう。
ちなみに松の幹に巻き付けてあるのは菰で、季語でもある「菰巻」である。冬の間に菰の中に虫をおびき寄せ、春になってから焼いてしまうものであるらしい。岡山後楽園では菰巻を焼くのも行事の一つだ(2024年は2月21日予定)。
「菰巻」は大抵、歳時記で「藪巻」の傍題にされているが、藪巻は雪折れを防ぐためのもので、目的も見た目も全く異なるものだ。なぜ傍題になっているのか謎である。
おわり
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